湧産遊山−4「 風立ちぬ 」 

   

A B R L

   

 風立ちぬ 

鳴るはいかづち 

上へ上へと失せにけり

 

 いつの間にか年も明け、いつもの冬よりも寒いように感じられて、老いればなお一層それが身にしみる。死はいつの間にか忍び寄り、そこで待っているのは誰もが行かなければならない遠い果ての霊界だ。遠くに有るものは平面化して青みがかってぼやけている。「遠い町」や「律退立体」はそれをどうして表現するかだ。我々の霊界、無意識は我々の中に有り、しかももっとも遠い場所にある。

 人が人である所以はその思い出に有る。思いでが消えればその人はその人である事を失うのだ。これは認知症の母を見ていてつくづく思う事である。生きる事よりも重要な事がある。それは自分でいる事だ。悟りは思い出を持ちながら自分を捨てて行く道であるが、過去のデータが消えてしまった人を悟りとは言わない。そこでこう言ってもいいのだろうか。我々に小賢しい世渡りなど始めから無用だったのである。人は思い出を作り、思い出として死ぬのだから。

201213  そらしま

つぎのページ

 
 

 

 

●このページの音楽仕様/音楽生物 [synchronix]

組曲「kazetatinu」2012/11