2005年度観劇 NOTE-01(05.1〜)
其の-2 by ありんす・アリス

タイトル 上演期間 観覧日 場所

内容

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感想
1〕 ◎2005年新春大歌舞伎 2005年1月4日(火)〜27(日)

1月4日(火)

PM4:30〜

歌舞伎座

.【鳴神】

陽成帝の御世−。朝廷に恨みを抱く鳴神上人(三津五郎)は、秘法を遣って三千世界の竜神を北山に流れる大滝の滝壺に封じ込めます。そのため一滴の雨も降らず、日照り続きで、民衆は苦しみに喘ぐ日々を余儀なくされます。朝廷では雲の絶間姫(時蔵)を上人のもとに遣わし、その色香で上人を堕落させ、竜神を天に飛び去らせて雨を降らせようとします。そして・・・。高僧が美女に籠絡されて破戒の道を辿るという主題で、騙されたと知った鳴神の怒りを豪快な荒事芸で見せるという江戸歌舞伎の大らかさがお正月気分にぴったりの一幕です。


【土蜘】

平安時代の中頃−。病に伏せる源頼光(芝翫)のもとに薬をもって侍女の胡蝶(福助)が訪れ、胡蝶は慰みにと都の紅葉の名所の様子を踊り聞かせます。胡蝶が去ると頼光は再び胸苦しさを感じ、そこへ比叡山の智籌(吉右衛門)と名乗る僧が現れます。その影は尋常ではなく、とうとう土蜘の精の本性を顕わします。平井保昌(段四郎)は四天王と土蜘蛛退治に向かい激しく争い、名剣膝丸の威徳の前に土蜘の精は命絶えるのでした。源頼光の葛城山土蜘蛛退治伝説を題材に、千筋の糸を繰り出す派手な立回りを見せるなど見所の多い舞台で、吉右衛門が東京では二十六年振りにこの作に取り組みます。


【魚屋宗五郎】

芝片門前の魚屋宗五郎(幸四郎)は、屋敷奉公に出た妹のお蔦が不義の咎でお手討ちになったと知らされ悲しみにくれますが、実はそれは濡れ衣で、悪人たちの密事を立ち聞きしたため罪を着せられて殺されたことがわかります。こんなひどい話はないと日頃の酒乱から禁酒をしていた宗五郎は、女房のおはま(時蔵)の心配をよそに酒をあおり、酔っぱらって小奴三吉(染五郎)の静止を振り切りお屋敷に暴れ込みます。幸四郎が初役で宗五郎を演じます。酒乱の宗五郎が酒を飲んで次第に酔っていくところが見所ですが、屋敷で生酔いで切々と妹を思う心情を訴える台詞も聞きどころです。

2005年初観覧
能の演目の改作。奇想天外なオカルト物。セットの作り物はちゃち。歌舞伎の美術は閉鎖的組織で競争がなく外部からの演出家の導入のように新しい美術監督が必要。
吉右衛門のうまさ、千筋の糸の荒事は初めて見る

幸四郎は吉右衛門より芸に喜劇性とアドリブ性がある。兄弟そろってスキがない。

時蔵はふけ女形が出来、芝居も上手いが、必ずしも二枚目な男がいい女に化けられるとは限らないのだ。演技と色気とは別物だ。

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2) 「梅若研能会」 2005年1月10日(月)  2005年1月10日(月)  観世能楽堂

●観世流 「翁」★梅若万三郎


●観世流 能「高砂」流シ八頭 八段之舞★梅若万三


●和泉流 狂言「末広かり」★野村万之介


●観世流 能「田村」替装束 長胡床★梅若万佐晴

観世能楽堂初観覧。正月なので翁物の演目。 

翁を通しで初めて見る。思ったほど呪術性は感じない。前の日にビデオで三番そうをみていてライブもその通りのもの。

野村万之介休演のため野村万が代役。
橋懸かりで翁と老女が対峙する。
3) マルセル・デュシャンと20世紀美術 2005年1月5日(水)〜3月21日(月) 1月11日 .横浜美術館 .

遺作シュミレーション有り

他新鮮な作品は無し

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4) 3月花形若手歌舞伎公演「通し狂言 本朝廿四孝」 2005年3月4日〜24日

3月9日(水)

PM12:00〜

国立劇場大劇場

近松半二ほか=作
中村芝翫=監修
通し狂言 本 廿 三幕四場
国立劇場舞台美術研究会=美術

序  幕 武田信玄館勝頼切腹の場

二巻目 道行似合の女夫丸
二世藤間勘祖=振付
高根宏浩=美術
野澤松之輔=義太夫作曲

大 詰 長尾謙信館十種香の場
同      奥庭狐火の場

中 村 時  蔵

片 岡 愛之助

片 岡 孝太郎

ほ か

時蔵,孝太郎はうまいが妖艶なところがなく勘三朗一派(玉三郎、福助)に比べると劇的な花が希薄だ。

むしろ芸が真面目な分、演出、演出家を前衛的なものにして行くべき。

5)

クローデルの詩による創作能連続上演

1-「創作能新作「薔薇の名?長谷寺の牡丹」」

2-「創作能「内濠十二景 あるいは《二重の影》」

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2005年3月26日(土)

(1-薔薇)3月26日(土)PM2:30〜

(2-内濠)3月26日(土)PM7:00〜

宝生能楽堂  劇作・脚本][演出][構成]渡邊守章 [出演]観世銕之丞/梅若晋矢/茂山逸平/他

クローデルの詩による創作能「内濠十二景 あるいは《二重の影》」は渡邊守章氏の作品で氏は放送大学でおなじみだ。渡邊氏を受け付けで見かけた。ピーコ氏の花輪あり。

昼と夜の通しで見る。シテ柱の下で観世氏と睨み合う。

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6) 17年四月大歌舞伎 .

2005年4月11日(月)

AM:4:30〜

歌舞伎座

一、 歌舞伎十八番の内

毛抜(けぬき)
粂寺弾正  團十郎
勅使桜町中将  海老蔵
民部弟秀太郎  勘太郎
秦 民部  権十郎
八剣玄蕃  團 蔵
小野春道  友右衛門
腰元巻絹  時 蔵

 小野小町の子孫、春道の館。天下が干ばつに苦しんでいるため、小町の雨乞いの唄の短冊を差し出すようにとの勅諚が下ります。ところが短冊はなくなっており、春道が短冊の行方を命じている時、あらわれたのは文屋豊秀の家臣粂寺弾正。小野家の姫君錦の前は髪の毛が逆立つ病に悩んでいましたが、弾正は毛抜が一人でに動くことから推理して病気の根源を突き止め、小町の短冊も悪人から取り戻してゆうゆうと館を後にするのでした。
 歌舞伎十八番の一つで、科学作用を持ち込んだ奇抜な趣向がユニークです。弾正が毛抜がひとりでに立って踊り出すのを見入るときの見得が見どころの一つ。弾正は悪事を見やぶる才知あふれた人物ですが、腰元や若衆に戯れる一面ももつ魅力あふれる主人公。團十郎が家の芸を演じる、おおらかで楽しい舞台をお楽しみください。

二、 十八代目中村勘三郎

襲名披露 口上 勘九郎改め 
勘三郎
幹部俳優出演

三、 籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)
序幕 吉原仲之町見染の場より
大詰 立花屋二階の場まで
佐野次郎左衛門 勘九郎改め 勘三郎
八ツ橋  玉三郎
九重  魁 春
七越  勘太郎
初菊  七之助
釣鐘権八  芦 燕
下男治六  段四郎
立花屋女房おきつ  秀太郎
繁山栄之丞  仁左衛門
立花屋長兵衛  富十郎

 下野佐野の次郎左衛門は、商売一筋の真面目な絹商人。下男の治六とともに吉原を訪れ、美しい花魁八ツ橋に一目惚れします。八ツ橋に次郎左衛門は通いつめ、身請けをするところまで話が進みます。ところが、間夫の浪人繁山栄之丞から次郎左衛門と別れるよう迫られた八ツ橋は、満座の中で心ならずも次郎左衛門に愛想づかしをします。八ツ橋のことを深く恨んだ次郎左衛門は、四か月後に妖刀籠釣瓶で八ツ橋を切り殺してしまうのでした。
 縁切物として人気の高い世話物。序幕の吉原仲之町では、田舎者の次郎左衛門が花魁八ツ橋を見初めます。ここでの八ツ橋の花道での微笑みが見のがせません。一番の見せ場は、八ツ橋による縁切りの場面。胡弓が流れるなか、次郎左衛門の「おいらん、そりゃあちとそでなかろうぜ」の名台詞が聞きどころです。新勘三郎の次郎左衛門、玉三郎の八ツ橋、富十郎の立花屋長兵衛、仁左衛門の繁山栄之丞をはじめとする豪華な舞台にご期待ください。

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團十郎病み上がり舞台。
中村勘三郎は二枚目というよりも藤山寛美的コメディー性があり、何よりも大事なのは保守的な歌舞伎界に新風を吹き込む前衛性を持っている事。

初菊の七之助、タクシー運転手殴りつけて初登場。

人形の後ろ振りのような玉三郎の海老ぞりで殺される場面がハイライト。

7) ◎映画「真夜中の弥次さん喜多さん」 . 2005年4月20日AM11;00〜 横須賀HUMAXシネマズ8 .

またまた七之助登場。お父様も盛上げ出演。

久々に映画館で映画見たけどこれじゃぁ映画界もだめだなぁ〜。もっとも平日だったけど私の他に会社さっぼたらしいOL組3人。伝統芸能のチケット入手困難モードとは裏表。私は期待しているがこれじゃあシリーズ化は無理でしょうな。

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8) 17年5月文楽 2005年5月10(火)

 AM11:00〜

 pM4:30〜

国立劇場小劇場

 

<第一部>
近松半二・八民平七・松田才二・三好松洛
竹田新松・近松東南・竹本三郎兵衛=作
近江源氏先陣館
和田兵衛上使の段
盛綱陣屋の段

近松門左衛門=作
冥途の飛脚
淡路町の段
封印切の段
道行相合かご

<第二部>
松貫四・高橋武兵衛・吉田角丸=作
伽羅先代萩
竹の間の段
御殿の段
政岡忠義の段
床下の段

菅専助=作
桂川連理柵
六角堂の段
帯屋の段
道行朧の桂川

竹本 住大夫  鶴澤 寛治  吉田 玉男
吉田 簑助  吉田 文雀  ほか

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「冥途の飛脚」 は有名な「みおつくし」の台詞の出だし。はな垂れ男の下世話な演出大受け。石を投げられる張りぼて犬の演技は誰も感心なさそうだ。しかし、まけるな犬よ、はりぼてファンの私はここにいる。

「伽羅先代萩」の床下の段は取って付けたような印象。しかし出ました着ぐるみの大ねずみ。これ見たからまぁいいか。

人形浄瑠璃や歌舞伎は今でこそ国の芸術だが、所詮江戸時代庶民町人のTVのようなもの。下世話なエロ、グロ、ナンセンスな所があり、幼い子供を必要に突き刺して殺したり、首や真ッ二つの胴体の張りぼてが飛び交ったりする。能ではそれを狂言と言うフォルダにそっくり移して高尚にお成りになった。

玉男さんは枯れてますねぇ〜。今回、真ん前で見ました。簑助さんは女人形遣いではもちろん一位。

しかし通しの前過ぎる安席はきついわ。

六月大歌舞伎 平成17年6月2日 (木) 初日
26 日(日) 千穐楽
6月21日(火)16;30〜 歌舞伎座 3F-1-20

一、
四世鶴屋南北生誕二百五十年
通し狂言 盟三五大切 (かみかけてさんごたいせつ)

序 幕
佃沖新地鼻の場

深川大和町の場

二幕目
二軒茶屋の場

五人切の場

大 詰
四谷鬼横町の場

愛染院門前の場

薩摩源五兵衛
吉右衛門

芸者小万
時 蔵

お先の伊之助
歌 昇

芸者菊野
孝太郎

六七八右衛門
染五郎

ごろつき勘九郎
錦 吾

里親おくろ
吉之丞

ますます坊主
由次郎

内びん虎蔵
秀 調

廻し男幸八
友右衛門

了心
芦 燕

家主くり廻しの弥助
歌 六

富森助右衛門
東 蔵

笹野屋三五郎
仁左衛門

話題とみどころ
船頭の笹野屋三五郎(仁左衛門)は、父親が旧主のために必要とする百両を調達するため、妻のお六(時蔵)を芸者小万と名乗らせ、稼がせています。小万に惚れ込んでいる薩摩源五兵衛(吉右衛門)は、不破数右衛門という塩冶家の侍でしたが、御用金紛失の咎で勘当され、浪人の身。名誉挽回のために、伯父の富森助右衛門(東蔵)から百両を借りますが、三五郎たちは、早速この百両に目を付けます([佃沖新地鼻][深川大和町])。三五郎に騙され百両を手放してしまった源五兵衛は、三五郎と小万を斬ろうとし、誤って関係のない五人を斬殺してしまいます([二軒茶屋][五人切])。逃げ延びた三五郎と小万が引っ越した先の家主が、塩冶家の御用金強奪の犯人と知り、三五郎はこれを殺害しますが、その後源五兵衛こそが父の旧主であったことが判明。三五郎は我が身を悔いて自害しますが、悪鬼と化し暴走する源五兵衛は、そうとは知らずに小万を殺してしまいます([四谷鬼横町][愛染院門前])。今年生誕二百五十年となる四世鶴屋南北。並木五瓶の『五大力恋緘』をモチーフに、自らの大ヒット作『東海道四谷怪談』を絡めて描いた本作は、痛快なパロディ精神とグロテスクな愛憎劇が混在する、南北らしさに溢れた傑作です。吉右衛門と仁左衛門、時蔵の豪華な顔合わせは、絶対に見逃せません。

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二、
良寛と子守 (りょうかんとこもり)
教草吉原雀 (おしえぐさよしわらすずめ)

『良寛と子守』

良寛
富十郎

子守およし
尾上右近

里の子
初御目見得
渡邊愛子 (富十郎長女)

里の子

話題とみどころ
越後国の地蔵堂。子守のおよし(尾上右近)が子供たちと遊んでいるところへ、ほろ酔い加減の良寛(富十郎)が通りかかります。坪内逍遙作の舞踊劇で、子供好きな良寛と戯れる里の子役で、富十郎の長女渡邊愛子が、初御目見得。長男大とともに、親子三人が揃います。

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『教草吉原雀』

鳥売りの男
梅 玉

鳥刺し
歌 昇

鳥売りの女
魁 春

話題とみどころ
今日は捕らえた生き物を放つ放生会。江戸の吉原仲之町に現れた鳥売りの夫婦(梅玉・魁春)と鳥刺しの男(歌昇)が、その由来を語り、吉原の廓の賑わいを活写してみせます。長唄の名曲で知られる風俗舞踊。投げ節や小唄など、変化に富んだ曲調と洒脱な踊りを味わいたい佳品です。

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急に決めたのですたこらさっさ。

題名の盟三五大切 (かみかけてさんごたいせつ)は夫を裏切った小万が腕に彫った入れ墨の三五郎の名。

南北の無意識の血のりドロドロもたまにはいいんじゃないの。生まれたての赤子が平気で突き殺される今では問題になりそうなシーンあり。

.てやんでぇ、リアルはきれいごとじゃぁねぇ〜んだよ。

.南北の生きた幕末は今に似てるからね。クレージィさが。ねぇ、おやじぃ。

世話物で私の好きな七五調はない。我々からすれば最早世話も時代も時代劇だが歌舞伎では時代物は七五調ときまっているのだ。時代に世話あり、世話に時代ありともいって、急に七五調になることもその逆もある。

題は三五ですが産後に掛かってます?

回り舞台あり。

南北の愛憎渦巻くメロドラマ。

通しだから少し長め。しかし狂言作家にとってはこれが本懐。南北の生誕二百五十年

やはり光るのは仁左衛門で勘三郎ファミリーの陰のなさでワルも明るくこなし、主役吉左衛門の陰をひきたてるポップスター。

富十郎の老境の2才の長女が前田青邨美術の舞台をうろつく中、老境の枯れた踊りをいつまで一緒にいられるか分からない娘と披露。まったく世間ばなれした最後の特殊世界での歌舞伎役者か。

観客の目ををかわいらしさに持って行くのは能・狂言からの引き継ぎだ。しかしこの手は3,4年が限度だ。きたねぇ〜手つかいやがって。しかしこれが大受けでね。伝統芸能者は舞台を遊び場として育つのが伝統的英才教育の手法なのだ。

太りぎみの子役おやま尾上右近もそつなく踊り将来は勘三郎か?

良寛が焼け死ぬウサギを踊って子供らが泣くのを見て慈悲の心を説くという良寛の禅風にかなったお話踊り。良寛は一休のとんち禅問答の芸風と対極をなす禅味なのだ。あとの吉原雀の踊りと動物愛護ツナガリか?

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明るすぎる影のない浮世絵の舞台で梅玉と歌昇の踊りは完璧。歌舞伎の演目は前の出し物に関係なく最後に明るい踊りを付けて気を晴らす事が多い。まして前が南北だからね。

梅玉は踊りだけでいけると思いますが。玉三郎と同格。ただおやまの色気となると玉三郎が上。本物だからね。

日本舞踊は着物のしわが最重要だ。衣裳のしわまでダンスに持ち込んだ舞踊は世界に比類がない。

フェニックスのような衣裳で飛翔する鳥の霊がキメ。

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. 今回の観覧は隣の初老の夫婦の奥様がビールを私の足に引っかけられたので、丁重にもお土産の人形焼きまで買っていただきました。私としては下駄ばきでいったのでどうってことはなかったのですが、知らぬ人に物を貰うのは初めてでございまして世間もまんざらでもないと観劇した次第でございます。

9)

能狂言番組

. 能「 遊行柳

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7月16日

21:00〜24:15

NHK-教育テレビ


<宝生流>
シテ:今井  泰男 ほか

笛:藤田 大五郎

小鼓:幸 清次郎

太鼓:柿原 崇志

太鼓:金春 惣右衛門

 能・歌舞伎は老人のダンスが見られる世界でも希有な芸能だ。体の利かないふらつきやふるえを良しとするひるいなき芸能だ。それを冷えたり、枯れたりとする。

今井師はまさに枯れたり。

藤田 大五郎の枯れた笛もいつまで聞けるか。

11)

アンテスとカチーナ人形展

吉村 弘の世界

平成17年7月9日

〜8月28日

平成17年7月24日 神奈川近代美術館 葉山 .

ホピ族の人形を“台風の天使”のネタに使用。

偶然見た同時開催の環境音楽ミュージシャンはパフォーマンスアートのイベントで面識があった。

亡くなっているとは知らなかった。

10) 七月大歌舞伎 平成17年7月7日 (木) 初日
31 日(日) 千穐楽
7月26日(火)1100〜 歌舞伎座3F西1-17

NINAGAWA 十二夜 三幕

W・シェイクスピア作 より

小田島 雄志 訳

今井 豊茂 脚本

蜷川幸雄 演出

斯波主膳之助
獅子丸 実は 琵琶姫
尾 上 菊之助

織笛姫
中 村 時 蔵

大篠左大臣
中 村 信二郎

右大弁安藤英竹
尾 上 松 緑

麻阿
市 川 亀治郎

役人頭嵯應覚兵衛
坂 東 亀三郎

従者久利男
尾 上 松 也

海斗鳰兵衛
河原崎 権十郎

従者幡太
坂 東 秀 調

比叡庵五郎
市 川 團 蔵

舟長磯右衛門
市 川 段四郎

左大弁洞院鐘道
市 川 左團次

丸尾坊太夫
捨助

『十二夜』は、シェイクスピアが書いたロマンティック・コメディーと呼ばれる作品のひとつです。「十二夜」とは、クリスマスから数えて十二日目の夜、東方の三博士がキリストの誕生を祝うために現れた日のこと。イギリス・エリザベス朝の頃、クリスマスからこの日にかけて、宮廷などでは舞踏や演劇が盛大に催されました。そんな賑やかな雰囲気や、音楽的、祝祭的な要素がふんだんに盛り込まれたお芝居が初めて歌舞伎として上演されます。

双子の兄妹・斯波主膳之助(しばしゅぜんのすけ)と琵琶姫(びわひめ)は、海賊に襲われた上、嵐のために遭難。琵琶姫は獅子丸(ししまる)と名乗り、大篠左大臣(おおしののさだいじん)に小姓として奉公します。
左大臣は織笛姫(おりぶえひめ)という公家の姫君に心を奪われます。織笛姫に相手にされない左大臣は、獅子丸に恋の使いを命じます。ところが、獅子丸を女と知らぬ織笛姫は獅子丸に一目惚れ。しかし、獅子丸は左大臣に密かな恋心を抱いているのでした。

洞院鐘道(とういんかねみち)は、姪の織笛姫と安藤英竹(あんどうえいちく)を娶(めと)わせようと画策しています。織笛姫の居候同然の身の上である洞院を、目の敵にしているのは丸尾坊太夫(まるおぼうだゆう)。そんな坊太夫は、主人の織笛姫を慕っているのでした。これを知った洞院や安藤は、腰元の麻阿(まあ)や捨助(すてすけ)を仲間に引き入れ、織笛姫が書いたようにみせかけた偽の恋文を使って、坊太夫の恋心を弄びます。そうとは知らぬ坊太夫は、うまうまと洞院たちの企みに乗せられてしまいます。
一方、九死に一生を得て、左大臣の屋敷へと向かう主膳之助は織笛姫と出会います。主膳之助を獅子丸と思い込む織笛姫が、その思いの丈を打ち明けるところ、左大臣や獅子丸が現れます。さて、互いにもつれた恋の行方は・・・

日本のみならず海外でもその手腕の評価が高い蜷川幸雄が初めて歌舞伎の演出を手掛けます。イギリスの生んだ大劇作家シェイクスピアと当代を代表する演出家蜷川幸雄、四百年以上の歴史の中で育まれてきた伝統芸術メ歌舞伎モの未だかつてない夢のコラボレーションがついに実現いたします。

 台風の中見て参りました。

鏡多用の金井勇一郎の美術は現代劇では定番になってしまったブレヒト的客の写し込みではありますが、歌舞伎に持ち込まれるとそれなりに新鮮ではあり、客には大受け。受ければいいんだよ要は。しかしどうせなら花道ももっと適格に写るようにして欲しかった。3階の安席の客としては。しかし写楽も銀色のバックの歌舞伎役者の絵を作っているからまんざら突飛でも無い。日本人は金銀は昔から好きなのだ。

また、枯山水の砂山のような現代美術的モチーフにまだらの照明は私好みではありました。美術的には全般のさくらや舟のセットが重くなりすぎて後半が寂しくなった。

張りぼてファンの私には金かけた割には仕出しの通行人のような鯨の出がかわいそう。どうせなら海のシーンに出して台風で舟と一緒に打ち上げられて浜の片隅で死んでいればタイムリーな話題性も出て大受けしたよね、歌舞伎なんだから。

衣装の配色もセンスも旧態依然としており、どうせなら蜷川系のデザイナーに洋装風でやらせたほうがよかったのでは。

音楽は非常によく和風現代音楽的でもあり歌舞伎の効果音の伝統やキリスト教中世音楽のチェンバロと鼓の合体などセンスの良いものだった。

蛇足が先になってしまったが本元のシェークスピアを読んで無いのでこれは私の推測だが、この芝居のテーマは性倒錯。歌舞伎では日常的なテーマではあり、中世キリスト教世界でのシェークスピアではデカダンスなテーマ。シェークスピアの劇は考えられているほど高尚なものではなく、アングラ的下世話の心だ。

男の歌舞伎役者演じる双児の男女の女のほうが男に化け、女形のお姫さまに惚れられ、最後には双児の男の方と女形の姫が結婚するという話し。ほらほら分からなくなって来たでしょ。歌舞伎はこのように始めから現代芸術のコンセプトのような二重性の倒錯的トリックを秘めており実はそこが面白いのだ。それが鏡写しだ。菊之助そっくりの仮面をかぶった吹き替えが、多用されて鏡に写り込み、増殖していたらしいが3階からでは分かりかねました。

後半見せ場的に少しだらけるのでもっと脚本的には短縮できそう。

シェークスピアぽい駄洒落の多用にも少しむりがある。やはりそこは近松の掛け言葉で洗練された歌舞伎だからねぇ〜。だが台詞は現代語で分かりやすく、若い人も素直に笑っていて、時代物のあらかじめストーリーを把握して置かないと分からない感がなく、すんなり入れた。

一番活き活きと見えたのは市川亀二郎の三枚目女形でシェークスピアにつきものの道化役の松緑より目立った張りきり演技。

花道での芝居や見栄のストップモーションはあまり意識されておらず歌舞伎としてはメリハリ、浮世絵感が希薄。

エンディングの演者総登場も少し平凡過ぎた。

まあしかし、これからの若い世代対象の歌舞伎の方向性の一つではありました。

11)

NHK芸術劇場 歌舞 . PM22:00

.1.俊寛

2.「大和住来恋飛脚」新口村

松本幸四朗の俊寛。花道に水が出て来て舞台全体が海になるところがクライマックス。舟を見送るラストで幸四朗が鏡となって小さくなって遠のく舟を写してるかどうかだ。梅玉は女形の方がいいんじゃないの。

「大和住来恋飛脚」黒猫がバックれてるわけではない。人形の「冥土の飛脚」の歌舞伎版だ。長々とした娘のおやじのくどきと説得シーンはあきるね。秀太郎は男役の方がいいんじゃないの。

中村魁春の踊り、おやまの踊りにしては硬くない?

雪の降らしは道行きに掛かって歌舞伎の洗練された仕事。

12) NHK芸能花舞台 . AM00:20

.「二世藤間勘祖の至芸」舞踊・義太夫 海士

舞踊 関寺小町

振り付け師の大家二世藤間勘祖 関寺小町。観世栄夫のゲストコメント。関寺小町は能では秘曲。さすが家元、柔らかく、スキがない。だが演目の芸術性は芸とは別だ。能の関寺小町のストイックさは皆無。
13) 土曜シアター・山川静夫の新・華麗なる招待席 , PM1;30 ,

▽歌舞伎鑑賞教室1 歌舞伎のみかた

ゲスト・市川春猿+市川笑也

歌舞伎メ義経千本桜〜河連法眼館の場

市川右近

歌舞伎鑑賞教室2 ケレンの仕掛け

ゲスト・市川猿之助+市川右近

歌舞伎メ義経千本桜〜蔵王堂花矢倉の場

市川猿之助+市川右近

市川家のケレンずくし。丁寧にもその仕掛けバラシ。命がけの演劇は、現代劇では影をけし、映画のスタントに分業され、へたすれば顔から落ちる花舞台。c級タレントひしめくでっち上げの芸能界で、マルクスじゃぁないけれど、肉体も心も汗かか無い芸って何?歌舞伎見て考え直せば?市川家宙釣りも健在。

しかしぬいぐるみファンとしてはきつねの行列は強烈。

八月納涼歌舞伎 平成17年8月10日 (水) 初日
28 日(日) 千穐楽

平成17年8月12日 (金)

第一部AM11;00〜

第ニ部PM14;40〜

歌舞伎座

3F1-20〜21

第一部

一、

祇園祭礼信仰記 (ぎおんさいれいしんこうき)

金閣寺

雪姫
福 助

此下東吉
染五郎

佐藤正清
橋之助

松永鬼藤太
亀 蔵

慶寿院尼
秀 調

狩野之介直信
勘三郎

松永大膳
三津五郎

話題とみどころ
室町幕府の執権で謀反を企む松永大膳(三津五郎)は、将軍足利義輝の母慶寿院(秀調)を金閣寺の二階に幽閉。その天井画を描く絵師として、狩野之介直信(勘三郎)とその妻で雪舟の孫でもある雪姫(福助)を招きますが、実は大膳の目的は、雪姫をわがものにすること。そこへ敵方から降参してきた此下東吉(染五郎)が現れ、大膳への奉公を申し出ますがノノ。「国崩し」と呼ばれる敵役の大役の大膳、難易度の高いお姫様役である雪姫、はんなりとした和事の色男の直信、爽やかな立役の東吉など、歌舞伎の代表的な役柄が勢揃いする、濃厚で見せ場に富んだ時代物です。

二、
橋弁慶 (はしべんけい)

武蔵坊弁慶
獅 童

牛若丸
七之助

話題とみどころ
京の五條の橋の上。薙刀を振りかざして立ちはだかる猛者弁慶(獅童)と、ヒラリとそれをかわす美剣士の牛若丸(七之助)。あまりにも有名な二人の出逢いを舞踊化した松羽目物が、旬の二優の魅力を引き出します。

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三、
雨乞狐 (あまごいぎつね)

野狐の五変化 (やこのごへんげ)

野狐・雨乞巫女・座頭・
小野道風・狐の嫁
勘太郎

話題とみどころ
日照り続きで、人々が困り果てているのを見かねた野狐(勘太郎)は、雨乞い巫女に化けてひと踊り。たちまち恵みの雨が降ったことに気をよくすると、座頭、小野道風、狐の嫁と、次々と雨にゆかりのある者に化けて踊り出します。勘三郎が踊って評判となった五変化舞踊に、若き舞踊の名手・勘太郎が初挑戦します。

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第ニ部

一、
伊勢音頭恋寝刃 (いせおんどこいのねたば)

油屋
奥庭

福岡貢
三津五郎

お紺
福 助

今田万次郎
勘太郎

お岸
七之助

徳島岩次 実は 北六
亀 蔵

仲居千野
鐵之助

藍玉屋北六 実は 岩次
錦 吾

お鹿
弥十郎

料理人喜助
橋之助

仲居万野
勘三郎

話題とみどころ
伊勢の御師(下級神官)の福岡貢(三津五郎)は、かつての主筋にあたる今田万次郎(勘太郎)のために、御家の重宝・名刀青江下坂を奪還。万次郎へ渡すため廓の油屋を訪れ、元家来で今は料理人の喜助(橋之助)に預けます。ここには貢と恋仲の遊女お紺(福助)や、貢に想いを寄せるお鹿(弥十郎)もいますが、お紺は、訳あって満座で貢に愛想づかしをします。さらに意地悪な仲居の万野(勘三郎)にまで罵倒され、油屋から追い出された貢は、思いあまって万野を斬殺。その勢いで、目に入った者を次々と斬りつけてゆきます。何かにとり憑かれたように、白絣を血で染めてゆく凄惨な殺人者・貢に三津五郎。老獪で嫌みの限りを尽くす万野に勘三郎。ともに初役となる二人の迫力ある共演に、期待が集まります。

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二、
けいせい倭荘子 (けいせいやまとぞうし)

蝶の道行 (ちょうのみちゆき)

小槙
孝太郎

助国
染五郎

話題とみどころ
四季の花が咲き乱れる野辺に遊ぶ、つがいの蝶。それは現世で非業の死を遂げた小槙(孝太郎)と、その後を追った恋人の助国(染五郎)の死後の姿でした。夢のように華やかな花園での戯れから、一転して地獄の責め苦へ。ドラマティックな魅力に満ちた舞踊です。

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三、
銘作左小刀 (めいさくひだりこがたな)

京人形 (きょうにんぎょう)

左甚五郎
橋之助

女房おとく
高麗蔵

井筒姫
新 悟

奴照平
弥十郎

京人形の精
扇 雀

話題とみどころ
左甚五郎(橋之助)が、廓で見初めた花魁にそっくりな人形を彫り上げ、鑑賞しながら酒盛りを始めると、なんと、その人形(扇雀)が動き出すではありませんか。長唄と常磐津の掛け合いで、驚く名匠とコミカルな人形の動きが楽しい、メルヘン味漂う舞踊です。

キャンセル待ちで前の日に取った。その方がいい席が取れるんだけど空く保証はないからね。

今回は共時的に“舞うと回る”と“人形”が今書いている小説のテーマにつながった。どこかにも書いたが舞うは回るで能からの舞いだ。

祇園祭礼信仰記 (ぎおんさいれいしんこうき)金閣寺は私としては福助を見る演目。福助は太く裏返る声がいいんだよね。声に性的な刺激音があるんだよね。

大量に降った桜の花びらで木に縛られた福助の雪姫が足でネズミの絵を描いて、そのネズミがリアル化して縄を切ってくれるというメルヘン。雪姫は雪舟の孫娘という設定で雪舟が足でネズミを描いたパロディー。

ソフトSM的縛りモードもかもし出し、緊縛踊りは歌舞伎のサーカスなる記憶。この手法はモダンダンスでも使えるね。人形振りがブレイクダンスに変わるように。

大看板の勘三郎の仕出し的通行人のような出のストイックでミニマルな芝居がいいね。グッと芝居こらえて引いてる感じね。少しほめ過ぎか。

友だちの獅童と七之助の若さ一杯やりましたと言った感じ。

勘太郎の父親伝授の引き継ぎ踊り。狐の変身アラモード。座頭の小道具が定位置に転がるかどうかがミソ。

歌舞伎のきつねの衣装は能・狂言のきつねのきぐるみとちがってオシャレなんだ。きつねの嫁入りもあり。

かわいい子役のちょうちんお化けの踊り付き。子役を所々に思い付いたように使うのも歌舞伎の少年愛の隠された伝統だ。なにせ初期は若衆歌舞伎だからね。

回り舞台あり。

無くした名刀の保証書を取りかえす物語。すり替えられた刀と思っていたのが、すり替えられていなかったという展開で殺しの場面に入って行く。

こういう演目に勘三郎を置くと主役を喰っちゃうよね。憑依性が強烈で粘着性があるからね。鼻水垂らすまで入り込むのは歌舞伎ギリギリのところではありますが、しかし芝居極意をどこかに持っているんだよね。

ニ幕始まりの多人数のおやま踊りはもう少しビッチとやっては欲しかった。歌舞伎にしてはだらけてるよ。町内の盆踊りじゃぁないんだから。

60年代レトロ前衛テイスト感のある武智鉄二・構成、演出。氏はスキャンダラスに“ヌード能”をもてがけて、伝統演劇に前衛を持ち込んだ大家。ブラックライトに輝くニ匹の巨大な蝶が舞う幕開きに始まって、山本武夫のセットはサイケな巨大な花園。黒字にボタン、アヤメの金糸刺繍のペアルックの孝太郎と染五郎の踊りにもちょっとレトロモダンダンス入ってない?

照明も60年代“キャバレーみかど”って感じ。

最後に落ちて来る蓮のはなびら数片は私にはくらげに見えました。

私個人は大変好きなテイストではありました。

でました人形ロボット踊り。

左甚五郎 の作った京人形がゴレーム(ユダヤ密教の土人形)のように踊り出す。

私としては小道具の棚に飾ってあった彫りかけの木彫りの人形の小道具に美術さんの思い入れを感じて何故か妙にひかれました。いまの小説のテーマが人形だしね。大道具の壁の配色もきれいでセンスがいい。


高麗蔵の女房おとくもいい味出してました。

この踊りでは鏡が魂の代用物的小道具だ。鏡をふところに与えると人形振りは人間の踊りへと変化してそのメリハリを見せる。

鏡は昔から神道で魂のニュートラル性を表現して来たんだね。

そのあと大工道具を小道具に使っての「道具づくし」が踊られ、この手法は落語でも見られる与えられた道具で小咄を作る和事独特の芸で現代の表現にも使えそうなアイデアだ。

13) 八月納涼歌舞伎 平成17年8月10日 (水) 初日
28 日(日) 千穐楽
平成17年8月19日 (金)6;00〜 歌舞伎座3F

第三部【法界坊】

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隅田川続俤 (すみだがわごにちのおもかげ)

串田和美 演出
法界坊 (ほうかいぼう)

序幕深川宮本の場より
大喜利隅田川の場まで
三幕

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浄瑠璃「双面水照月 (ふたおもてみずにてるつき) 」
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聖天町法界坊
勘三郎

永楽屋娘お組
扇雀

山崎屋勘十郎
勘太郎

野分姫
七之助

番頭正八
亀蔵

若党山上文治
市蔵

永楽屋権左衛門
弥十郎

道具屋甚三郎
橋之助

永楽屋手代要助
実は吉田松若
福助

【法界坊】
堕落し切った願人坊主の法界坊(勘三郎)は、永楽屋権左衛門(弥十郎)の娘お組(扇雀)にひと目惚れしますが、お組は手代要助(福助)と恋仲で、もとより法界坊には目もくれません。要助は、実は御家再興を期す吉田家の嫡男松若で、野分姫(七之助)という許嫁のいる身。法界坊は、そんな要助を陥れようとしますが、吉田家の下僕で、道具屋に姿を変えている甚三郎(橋之助)に暴かれ失敗。その腹いせにお組を誘拐しようとしますが、これまた失敗。さらに今度は、野分姫をかどわかそうとしますが、拒否されると『お組との仲にはじゃまだから殺すよう要助に頼まれた』と偽って、野分姫を斬り殺します。しかしその法界坊も、甚三郎の手に掛かって、あっけなく絶命。と思いきや、現世に恨みを残す野分姫と合体霊となって姿を現し、要助実は松若とお組を苦しめる執念深さを見せます。
コクーン歌舞伎、平成中村座など、勘三郎とタッグを組んで、新鮮な歌舞伎の形を呈示してきた演出家・串田和美が、満を持して、歌舞伎座に初登場。悪党だけど憎めないコメディアン・法界坊が、縦横無尽に暴れまくり大評判を取った平成中村座版が、歌舞伎座に移って、どのような変貌を遂げるのか。この夏いちばんの話題と言えるでしょう。

串田和美 演出・美術。串田のポスター用の人形がことの外いい。

舞台にもフェイクな客席が人形で作られ、昔の芝居小屋の雰囲気を平成中村座風に持ち込んだ。一幕目の後半までジッと気配を殺していた役者の「死の演技」が大ウケ。しかしこれは能の鑑賞時など特にそうだけど、客が何時も強いられている「客の演技」でもある。能なんか腹が鳴ってもとなりの客に睨まれるからね。

一幕、ニ幕とも野太い声の番頭の亀蔵がことの外よく存在感、芸の工夫共に大ハッスル。

二幕目の扇雀と七之助の黒紋付にすそのタマゴ色の斜ぼかしに紫の籠柄と黄緑の絞り柄が綺麗。後で勘三郎も同じ衣装で登場し三人が同じ衣装。

長男勘太郎のおんな船頭の衣装もチェック柄に茶の帯でイキ。

黒子が芝居に出てしまう演出も歌舞伎では型破りでこれも楽屋オチの一種になるのかな。遣り過ぎるといやみになるので要注意。

「ローソクのスッポットライト」は江戸歌舞伎の雰囲気を彷佛とさせ今は浮世絵のように明るい歌舞伎も、江戸当時は電気のない昼でも薄暗い中で行われていたのであって、白塗りのメイキャップも照明の薄暗さを補償するものでもあったのだ。

中村屋の「穴掘り踊り」大ウケ。日本人は餅つきもダンス化していた事に思い当たった。

ニ幕目の後半で主人公の法界坊が殺されて霊化するが、法界坊と七之助の野分姫の霊が合体して勘三郎が二重人格霊を演技する。野分姫の七之助が黒子になって勘三郎の姫の声をアフレコし、勘三郎のくちパクが見どころ、聞きどころ。

宙吊りされた二重霊の勘三郎が顔半分づつの演技を変えながら三階の黒幕に消えて行く。志村ケンなどのギャグにも取り入れられている一人半身二役だ。この芸を洗練させたらすごい事になるよね。本物の二重人格だって一度に二人は出来ないからね。

三幕目は歌舞伎荒事風で最後はしっかりキッチリと伝統風にシメました。

勘三郎は3F、4Fにもけっこう気を使っていて、目線もくまなく全体の席に回すところがあって「3階の安席の方々にも見えるように……」とか「たまには下へも降りてこいよ」などと台詞も回して気を使う。ただ今日だけかも知れないけど新作だとどうしても通人のかけ声のタイミングが戸惑って耳障りだ。

七月のNINAGAWA 十二夜と今昔桃太郎(新作 渡辺えり子)の中間的な歌舞伎。桃太郎ほどエンターテイメントに徹してはおらず、十二やはどにはスケールが小さい。

しかし三演目ともこれからの歌舞伎の方向を暗示しており、どの方向を取るかは我々客の選択に掛かっているのだ。

14) 9月文楽公演

初日2005年9月10日(土)

〜千秋楽2005年9月25日(日)

9月14日(水)
AM11:00/AM10:30
国立劇場 小劇場 第一部「 芦屋道満大内鑑」

[出演]竹本住大夫/鶴澤寛治/吉田玉男/吉田簑助/吉田文雀/他
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大内の段・加茂館の段・保名物狂の段・葛の葉子別れの段・信田森二人奴の段を上演。

うん〜、歌舞伎と比べるとやはり迫力には欠けますが、これは歌舞伎のように演出に新しさがなく保守的なせいもあるのだろう。新しい風を吸い込む雰囲気が成立していないのだろう。太夫の政治性が強すぎるのかもしれない。これからの若い人の中で文楽が生き延びていくには歌舞伎の勘三郎のような内部からの変革の人材が出て来る必要があるよね。

<保名物狂の段>では清元の名曲「保名」が踊られる。歌舞伎の人形振りとは逆の人形ダンスだ。しかし人形のダンスとは何か?身体性の無いものの踊りとは何か?もともと人間振りである文楽の中でのダンスへの憑依性はよほど人形使いが舞踊を収得していないと形だけのものになる。それも使うのは3人だからねぇ。

それとは別に全体的に見ても簑助が出て来ないとやはり人形への憑依性が分かりにくい雰囲気になるのはなぜでしょうか。

中世日本の代表的シャーマン芦屋銅道満 みちたる と有名な安部清明の父、安部保名の家伝相続争いの話しで3aネタにしたきつね獣婚話。もともと狐はそれほど嫌われ者ではなかった事を証明する。農民にとってはネズミなどを捕食する益獣であったからだ。きつねも無形文化財吉田文雀の扱いだったがどうせなら10匹くらい家来を引き連れて登場させれば、エンターテイメント性が増して現代の客にはおおうけするんじゃぁないの。文雀の弟子の吉田和生が妙に目立つんだよね。なぜか分からないけど。師匠にはおんな方は不向きといわれているようだけど、おんな方は実は内なる異性の開花なんで無意識の領域なんだよね。無意識の事は自分でも分からないいんだ。これからどうなるか。

今回はとなりのとなりにこぶ平改め正蔵師匠がおいでになりました。休憩を終え帰って来ると、ばあさんが私の席に居座ってサインをねだっておられました。正師匠は今回のパンフにも寄稿しておられます。9Cの小説制作中の事でもあり、「サインと蔵」で落として終わりにしたいと思います。

15) 石川九楊の世界展 9月13日〜19日 9月14日(水)

日本橋三越本店

新館7階

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上記、国立劇場文楽観覧の帰り偶然三越の地下のポスターで知り、立ち寄った。

氏の京大学者系の書道理論は前から知っていましたが、書の実物を見るのははじめて。

入口にあった福島種巨(政治家)の書と河東碧悟桐へきごとう(歌人)のものも始めて目にした。

「う〜、不味い、もう一杯。」系の昔の前衛に大感激。書家や画家はまず古典を徹底的に模写して、次ぎにその旨くなってしまった自分を否定して行く。誰かさんのように「へたへた」ではない。

きゅうよう氏の繊細すぎる細線のドローイングのような書の中でも白い小皿に朱で書いたシリーズが圧巻。おそらく最初は絵付けのための赤いゆう薬を溶いていた物にテスト描きしたものが目が止まってこれは面白いとう事になり、ありったけの小皿を出させて描き上げたものと思われる。その赤いゆう薬の偶然の汚れと文字の造型性がバランスして、見る側の創造性欲をかきたてた。こういうノリは現場ではよくある事だ。実は陶芸の良さはジョン・ケージのやったチャンス・オペレーションを超えた偶然と作意の融合にあって陶芸での書の場合、徹底した偶然の書への介入が実験されるべき。

小皿だけのカタログもあったのですが高いので手がでませんでした。

やはり書は制作時の墨跡の憑依した後が見たいのであります。しかし象形文字のやさしげな線描に惹かれるのはなぜだろう。原始のそこには、初めから旨い下手も、前衛的創作意欲もなく、伝達と記録があるばかりなのに。「へたへた」がいやなら初めから創作意欲など持たない事だ。

それが「無為の為」だ。

16)

シュヴァンクマイエル展

JAN SVANKMAJER

9月10日〜11月6日

10月2日

PM3:00〜映画観覧

. 「悦楽共犯者」96年

隣人恐怖症とオナニズム妄想がテーマで自慰マシーンまで登場する。これは展覧会会場にもあったものだが日本的現代美術からいえば60年代によくあったスタイルだ。回顧展的展示と言う事を差し引いても新しさは感じられない。

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.DVD鑑賞 

.  [アリス」87年

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屋根裏の汚れぎみの不思議の国のアリスである。しかし子供の遊びは何時も大人から見れば泥まみれなのだが子供は土が食事だったり、魔法の粉だったりしたではないか。

. 「ファウスト」92年

大人の鑑賞にもしっかりと耐え、人形劇と現実の倒錯劇が展開する。ファウストのテーマ、人形との絡みはゆめつなぎとも対応し、同族を感じるだが、妄想的トリックが表に出過ぎていて、コンセプトな、サイキックな衝撃はない。悪くいえばそれは“何時か見たなつかしい不思議”に終始する。これは氏の作品全般にいえる事で「ストーカー」のタルコフスキーを見た時の衝撃は訪れないのだ。正直、「エレファントマン」、「ツインピークス」のぞっとするクールさがない。

これは氏が極めて正常な妄想の持ち主であり健常人である事を意味する。氏の作品は狂気ではないのだ。

. 神奈川県近代美術館 葉山

チェコの映像作家でこまどり粘土アニメで有名な氏(1934〜)の絵画とオブジェと映像を始めてみた。勿論、人形ツナガリでである。日本ではあまり知られていないが人形劇といえばチェコスロバキアである。人形に文楽のような造形的洗練さはないが、もっとドロドロしたヨーロッパのマニエリスム的中世味が東欧の片隅に追いやられてまだ生きているような感じがこの国にはあって、とにかく日本の作家のように気持ち悪いから受けるためにこの辺で止めとこうという気が全くなく、妄想やリ放題のところが逆に面白い。人形もことの外グロテスクで巨大なもので、呪われぎみである。

しかし氏が遅れて来たシュルリアリストであってはならない。ここにあるのは西洋現代芸術の考えオチ的表現の行き詰まりを受けて、これから台頭してくるであろうG・ガルシア・マルケスの「百年の孤独」のマジック・リアリスム的な先駆けの、隠されていたヨーロッパの精神性なのだから。それはもう一度ヨーロッパとアジア、アフリカ精神が解け合おうとしているサインだ。ヨーロッパ精神は考古学的他民族の研究をヒントにポスト構造主義をへて、作品性の無常、哲学を語って来た私の無常に行き着いたではないか。それは仏教的なるもの、道教的なるものだ。

だがこの、これからの新しいマニエリズム・ム−ヴメントは以前のようなオリエンタル趣味や妖怪大行進で終わってはならないし、シュルリアリズムのようにムードの熱気の競演に終始してはいけない。コンセプチュアル・アートを超えて行こうとするならばより知的でリアルな戦略が必要となる。

1950年代のスターリン時代の恐怖政治下をへてシュルリアリズムを生き延びた氏と妻でありシュルリアリストの同志エヴァの、これからが世界的な発信の時期といえる。2006年公開予定の劇場用映画「ルナシー」が現在制作中だ。

17) DVD映画鑑賞 . . . いつか見なくてはと思って溜まっていた映画を一気にみての感想。評価するほでもないものは除いた。

「マルホランド・ドライヴ」

.  デヴィッド・リンチ

おくればせながら見たのだが、これはすばらしい。劇場用映画に名を仮ながらまったく前衛的な映画である。デジャヴな展開で二役やオーディションシーンが使用され、レズシーン以降の後半はTV連続ドラマ用に撮られたミステリーなシーンをでたらめにつなぎ合わせたような凄さがある。

レズ関係の女優同士の嫉妬から二役のダイアンがもう一人の役のベティーがかくまっているカミ−ラという記憶喪失の女優を殺害依頼して自殺してしまう話に、おそらくリンチ監督の体験的なハリウッドの裏話も交えながら話しが進んで行く。

わざと同じような設定のシーンが挿入されたり、主役女優2役ともがカミ−ラとレズ関係になる事や、カミ−ラと言う女優も2人登場し映画界の黒幕が起用したがっている女とそっくりの三人目もオーディションに現れる。管理人のおばちゃんも監督の母親としても登場したり、ホットドック屋のウェートレスも名前がベッティーだったりダイアンするし、ダイアンとベティーは変り目のシーンで呼ばれ方が交差していて見ている方はよけいにデジャブ的混乱に陥る。

リンチ得意の気持ちの悪いアメリカン右翼的カゥボーイや60’s POPS、ブルーと血の赤も健在である。

主演女優(ピンクフロイドのツアーエンジニアの娘)の演技力のよさもあり最近見た映画では上位のランク。

しかし後半ストーリーを追って見ているとまったくバカを見るシカケ。「ブルーベルベット」以前ほどに映像的シュールさはないが、結末を分かってもらおうとはしていないところが面白い。これ以上行くと劇場には掛からなくなるだろう。

しかし我々はどんな単純明解な文学や映画でもポスト構造主義が解明したようにズレた読解でもってそれぞれが作品を理解しているのだ。リンチは現代美術上がりの監督で、デュシャンや哲学にも造詣が当然あり、最近はその事を、作家の作意の不信を意識した方向にあるかのようだ。

「ロスト・ハイウェイ」

.  デヴィッド・リンチ

サックス奏者フレッドは妻レエネを惨殺して死刑囚になって牢獄に入る。彼には妻を殺した記憶がない。しかし殺しの以前に不思議な予言的ビデオテープが送られていてそこにまだ生きている妻の惨殺死体が映っていた。そして無気味なオカマの予言者が登場し奇怪な行く末を暗示していく。

牢獄でひどい頭痛に襲われた彼は別人の自動車修理工ビートにすり替わってしまう。別人として開放されたビートは又修理工場で働くが、御得意さんの町の黒幕的ポルノ業のボスの女の女優と出来てしまう。それを知ったボスはビートを殺そうとつけねらう。クライマックスではまたビートとフレッドが入れ替わってボスを殺害する。二役の女優がからみ合いリンチ的デジャブと、二重人格的トリックが交叉し、TVスリラードラマ的テンポで話しはデビッド・ボーイの曲の挿入を節目に進んで行く。

ベッドシーンも豊富に挿入されサービス過剰でストーリーのトリックも「マルホランド・ドライヴ」にくらべると分かりやすく一般的。しかしここまで分かりやすくしても劇場でのヒットは期待出来ないなら思いきってマニアックな方向に進めた方がいいのではないのか。

18)

四世鶴屋南北生誕二百五十年

 通し狂言

貞操花鳥羽恋塚

四幕八場

10月3日〜26日 10月10日 AM12;00〜

国立劇場

(大劇場)

3F-9-30

平成十七年度(第六十回記念)文化庁芸術祭協賛

四世鶴屋南北=作 国立劇場文芸課=補綴 織田紘二=演出

国立劇場美術係=美術

序 幕 厳島神社境内の場

二幕目 三井寺の場
源三位頼政館の場

三幕目 讃州松山屏風ヶ浦の場
同 崇徳院御在所の場

大 詰 高雄山神護寺の場
同   庭先の場
同   石段の場

(主な出演者)
中 村 富十郎

中 村 時 蔵

片 岡 孝太郎

尾 上 松 緑

中 村 信二郎

中 村 梅 玉

ほか

. 南北を通しで見た。歌舞伎座と対照的に国立劇場はまじめにアカデミックに作家の作品を生かそうとしている。しかし歌舞伎座の気持ちもわかるよね。我々は江戸時代の客ではないのでやはり通しだと中だるみする。歌舞伎座のように最後に楽しい踊りで締め、というエンターテイメント性が国立劇場にはないのだ。

しかし南北の本は変化に富ませて出来るだけ客を飽きさせないように作ってあり、途中で時代劇の役者が突然世話物の日常の芝居をみんなでしだして楽屋オチ的な笑いをさそうのだ。時蔵の海女がお姫さまに成り上がった芝居でも、お姫さまが下世話な海女の言葉使いになって南北らしい。南北は賤民の出であるとする説が有力なのでプロレタリアートに同情的なのだ。

ニ本の花道(あまり意味が無いように思えるが)、ネズミの作り物、大詰の斜宙乗り、屋台崩し、屋台下がり、照明効果、音響効果、視覚効果さん達もがんばり処が沢山あって、スペクタクル性も豊富でこれでもか、これでもかとサービス満点の演出。だが南北の時代はこれらをどう表現していたのかは不明だ。

本花道を海に見立てる屏風ヶ浦の場の船での孝太郎の移動も面白く、ここでは黒子も青になって水になる。今回ほど3階の安席がよかった事はない。宙吊りの役者も目の前を通り、花道の海の波絵も1階席からはみえないからだ。国立大劇場は末席からも花道の半分が見えて歌舞伎座での不都合はない。

孝太郎の抱く赤子の首がはねられて南北流グロテスクも健在だ。むかしの人はこういうところで涙したんだろうねぇ。

衣装は時蔵の着物が劇中ではあんまり下世話だとけなされるのだが、配色も綺麗で海女に因んだ海藻や貝殻の柄。おっと、これは洒落ではない。

しかし全体的な演技は私が見た10日は中間で、なかだるみだった。富十郎の台詞もリズムがつかえる、梅玉、時蔵、孝太郎がまじめにそれを支える。その中でも歌六の阿闍梨役がことのほか良くシャーマン的妖婉さが出ていた。しかし役柄も6人が二役と現代の客には混乱の元だ。我々には衣装替えなのか役が替わったのか分からないのだ。歌舞伎では当たり前になっている二役のトリックは、キャスティングでの都合を避け、最小限にしないと演出効果もでなく、今映画では重要なトリックとなっている二役を、通人を基準に使って行くのは出来るだけ避ける方向にないと、これからのどんな芸術作品も時代から取り残されるのではと老婆心しているのは私だけだろうか。

帰り道、なけなしのバイトの金で見ているんであろう二十歳の女の子が、途中のコンビニで一つ買った肉マンをかじりながら地下鉄の駅に帰るのを見ていると、元々歌舞伎が町人のもので、政治家や金持ちの娯楽ではない方向をみていた南北の心が、そこにダブって見えて来るのだった。

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