自然に降りてくる工法や考えによって 起 記 k i k i  

          33    共同強度

 

 

 

 

 
 

「客人 Guest-2017/0201」w150cm×h300cm 紙に墨と染料、金泥 by Mitsutaru Sorasima

 
 

 

 

 私の共時性の絵画論の実験も段々と一人の暗い錬金術の作業場を出て、外へ外へと出ていこうとしている。季節は春で花が咲き、私を開放的な旅へ出るようにと誘うのだ。隠喩的表現はともかく、具体的には知り合いの画家とのコラボレーションのプランをこれから進めようと思っているのだ。いや実際にすでに数人の知り合いにそれを頼んでいる。この時点で出来上がってきた作品が下記のものである。ご存知のようにコラボレーションとは共同制作のことである。作品とはその作家のコンセプト、センス、テクニックが統合されたものであり、他者の参加を極力拒否する本質を持っている。しかし昔からこの作業がないわけではない。アルタミラの絵画が一人の作家の作業ではないように。しかしここでは作品の無名性とは少し別の観点から考えてみたい。シュールリアリズム芸術運動では「優雅なる死体遊び」というコラボレーションがあったことはよく知られている。折りたたんだ紙に先の作家の絵を見ずに部分を繋げて描いていく手法であるが、これが偶然的フォルムが突然出現して非常に面白いのである。学校での美術教育に使用すれば自己を超えた造形が出来上がって生徒には超自己的な体験にもなるので美術教育者には是非お薦めしたい。しかしここではっきりしておきたいのは私の遣ろうとするコラボレーションが、画工の師が主催する工房の共同作業とも、テーマを決めた壁画制作のようななものでもなく、全くのテーマなきそれぞれの作家の自由な創作の合体である事である。

 それではなぜ今このコラボレーションに意味があるのかであるが、私の立場は共時性的に出現した私の形象に他者のフォルムが結びつき、新たなるストーリーが共時的に出現しないかとの期待的な実験なのである。二番目の作家においては一番目の絵を見て作為的なストーリの創作も可能ではあるが、これは三番目の作家の創作において無化することが可能なのである。故にこのコラボレーションは3人以上の創作が基本である。人数が増えれば増えるほど監督のような人がいない限り、一人の作為性は不可能となる。作為性がなければ共時性の現象が出やすくなり、プライベートなシンクロニシィティーを超えて春の丘への共時的共同ピクニックとなるのである。しかし今回はまず二人のコラボレーションから始めようと思う。私の描いたものを手渡して帰って来たものに私がもう一度加筆した。したがって私の作為性が色濃く出てしまったが、できるだけ相手の筆跡を消さないように努力した。

 このコラボレーションの実験絵画は当然のように錬金術の書のイラストのようにシュールリアリズムめくのである。錬金術は無意識の認識がない頃の無意識の探求であって、シュールリアリズムの芸術表現もすでにその中に含んでいたように、このコラボレーションも一種の錬金術なのである。それは個をを超越し、上と下を超越し、遂にはに無尽蔵に増え続ける賢者の石となるべき実験である。

 協力していただいた諸氏はそれぞれが第一線で活躍されている人物であり、この場を借りて御礼申し上げる次第である。そしてこれからもこの実験にご協力を切に願う次第である。

 

 画家 野田龍二とのコラボレーション キャンバスに墨とアクリル F3号

 

 イラストレーター 永井俊英とのコラボレーション 紙に墨と鉛筆 w150cm×h300cm

 

 画家 粟田哲夫とのコラボレーション キャンバスに墨 アクリル 金箔 F3号

 

 

 by そらしま 20170501

 
     
     

●このページの音楽仕様/音楽生物 [synchronix]

組曲「タイム・コラボレーション」2017