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02  G   U   E   S   T  by SORASIMA

題字 そらしま(皺字しゅうじー皺に現れて来る文字)

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ナチュラル 円空

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● 前のページで偶然入手したものと便宜上いいましたが、もっと正確にいえば、客人はここへ遣って来る必然も同時に偶然に秘めているのでしょう。「偶必同時」は世界の秘密をとくキ−ワ−ドになりえる共時性的物理である。それは今私が合わなければいけない人々でもあるのだ。

. 尚、このコーナーは客人の再訪問により追加拡大される事があります。

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(2008/01 そらしま)

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2008/01入手

円空書付
(w27cm,h23cm)

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入手文献3点

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入手文献部分

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参考文献(博物館展示品)

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円空印

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博物館展示の円空自筆大般若経

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 上部3点とその下の部分写真は入手したボロボロの「円空書付」といわれるものである。

. 参考の博物館の展示品とくらべても、筆跡は同人物と思われ、印の書体も似ている。偽物をつくるにしてもここまでの虫食い紙を使用する必要はどこにもない。骨董の世界で本物の肉筆を入手するコツは、出来るだけ商品性のない、汚いものの断片を見つける事だろうと思っていたから今これがここにある。円空仏自体の本物も、ここまで一般に円空が有名になってしまうと、ほとんど入手不可能で高額になってしまっており、ほとんどが偽物である。書跡といえども全く流通する事はないので、私などの手許にあるのは偶然をこえた縁と考えたい。

. 内容は漢文で私の教養では読めないものなので内容的な真意はわからない。経の解説の様にも見え、おそらく木仏の中にでも収蔵されていたものが、分離したのではないかと推測している。筆圧の乱れなくびっちりとA4くらいの紙に三枚1組でかかれたものである。その他欠損した紙があるかどうかは不明である。円空の一見荒っぽい木像のイメージからすると几帳面で忍耐強くかかれている。

. しかし円空仏は彫刻を知る人から見ると、シロウトが途中で彫るのを止めた像とは似て非なるもので、始めの構想からムーブマン(彫刻的ひねり)や素材のクセが考慮されているものが多いのだ。年輪の中心線上に像の背骨が位置する。これがないとシロウトの作品のように案山子のようになってしまう。これは絵でも同じである。彫刻では彫塑と違い大体が出来上がったところでぐいっと捻ることは出来ず尚更なのである。まず真贋はここで見分けていく。

. 次に顔であるがこれは笑っていなければならない。円空のニコニコは木喰にも共通する宗教的、トリップ的笑いがなくてはならない。トリップ的笑いの詳しい説明はここで語るのはばかられるが、「理由なき笑い」の一種である。狂気一歩手前だがピースフルには違い無い笑いの事である。宗教的笑いの方は「アルカイック・スマイル」といわれるものである。「なんちゃって」の出る前、ステージ変換前の「慈悲の微笑み」のことである。「なんちゃって」と置き去りにされる前夜のもう少し関わってくれる「菩薩の愛」である。

. とにかく円空仏は深刻さには反対している。これに私も賛成する。しかし高笑いを残して娑婆からは飛び立たない菩薩の微笑みであり、この微笑みをもって円空仏とする。

. 次に円空の造形的前衛性がある。この前衛性が何処から来たのかは分からない。おそらく悟りの成分たる自由自在からでも来たのだろう。悟りとは自由というものが分かる事だろうからだ。このような立体造形のアヴァンギャルドは織部(武将茶人)を除いては日本中世文化史で他に例を見ない。

. いずれにしろ木から出現する円空仏は美術造形作品を超えており、そこには出現と消滅が同期していて、きわめてアニミズムな場に、それがある事によりその場を変換させる事ができるワンポイント・インスタレーションであり、魔法に使用するツールなのだ。

. 参考写真にもあるように円空は大般若経の写経の中にイラストも挿入している。これが木像仏と同じでとんでもなく現代的である。「へたうま」なのだ。仙崖(江戸時代の禅僧で崖は山冠がないが文字化けするのでこれで代用)とも共通する絵画法はうまさを目的としない東洋的なものである。この俳画にも共通する洒脱さは琳派(桃山江戸初期の京都文化サークルの一形式)でも結晶する。仙崖(岐阜生まれの博多の寺に在住した江戸時代の禅僧1750生〜1837)などはピカソのように絵がとんでもなくうまいのであるが、ある日師から「お前は禅よりも絵で有名になるのが心配だ。」と言われたのを機に変身する。へたになるのである。わざわざへたにして安心感と自由さを獲得する。西洋ではこの芸風は近代になってやっとピカソなどにより到達されるのだが、無意識的にはゴシック様式の前の、ロマネスク宗教芸術にその種が孕まれていた。ロマネスクの一見稚拙な妖怪や人物は物質的見た目より精神性を強調するためにわざわざ用いられたからだ。

. 円空も仙崖も「うまいとは言われたくないモード」である。したがって文字もどこか良寛(一流の書を残した新潟の禅僧)のようなアンヴィエントなのほほんさがある。空海や日蓮の政治性を孕んだ文字の対極にある。

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陶器煙草入  銘「ラピス」0711作(径11cm)      そらしま作

(h10cm,w8cm)

 仏の顔が出て来た、たばこ入れである。ブッダとたばこと函が掛かっている。監獄のことではない。

 「偶必同時」の文字が刻んである。「ぐうひつどうじ」とは偶然と必然が同時に起っているリアルの本質をいっている。これによって我々は他力からも自力からも解放される。自力に捕われようが他力に捕われようが同じ事だからである。釈迦が言いたかったのも、禅が説続けたのもこの事につきる。対極は同時に起きているのだ。

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霊州句韻(霊木自象)

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霊州句韻(レースクイン)とはサーキットにいるおねーちゃんの事ではない。希薄な書である。レース状に漉かれた紙に書かれている。にじみはレースに従って滲んでいくネットな文字形象だ。文字はへたへたなそらしま自筆だが、自然が助けてくれるのでなんとか書らしく見える。

. 霊木は自ら神の形になっていく。古来日本では神は遣って来るもので、全国の御神体といわれるものは一種の受信機なのだ。そのステーションから各自家庭の神棚の携帯電話へと神は分配受信される。それ、神棚はアンテナなのだ。

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対 客人 水卜画 02

龍08013 (545wmm x h190mm)

. 人影のようなものは頻繁に出現するが、龍は出そうでなかなか出ないものである。龍は東洋では水の象徴であるがゆえに、それは雲の切れ目、雨雲、竜巻でもある。日本では龍神は雨乞い信仰の対象だった。上の円空のイラストにも龍が出現している。円空は仏教僧というよりも祈祷師、シャーマンの系譜であり、その仕事の目的もほとんどの国民が農民であった当時において、主に雨乞いの祈祷であった。仏像製作もその手段であって、芸術作品を作ろうとした訳では無い。そのことが逆に純粋な芸術足り得た。

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参考文献

書名

出版社

1

BOOK OF BOOKS 日本の美術  「円空と木喰」

小学館 

2

入定300年記念円空展 パンフレットカタログ

名古屋城管理事務所

3

円空さんとわたし 後藤英夫 写真集

岐阜県博物館友の会

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● ただ今かかっている曲はそらしま作の「客人のテーマ2」です。

(GarageBand 打ち込み、エレクトリック・ギター、尺八、三味線、シンセサイザ−・ドラムス演奏は そらしま)

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