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03  G   U   E   S   T  by SORASIMA

題字 そらしま(皺字しゅうじー皺に現れて来る文字)

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スマイリ− 木喰

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● 暫く人と会わない修行を続けると不思議な事が起きるのである。霊的な客が遣って来るのだ。しかしこれは危険であるし、幸いにも普通人には為すことはむずかしい。女房、子供もいるし、会社では望まなくても人と会わなければならない。仙人が高山の洞窟にいるのはサヴァイヴァルが好きなからではない。人の粗雑な影響を避けるためである。山は上にいくほど生物が少なくなる。面積も小さくなるし人工音も聞こえなくなる。それにもまして悪人が居なくなる。居る理由がないからである。遊行や放浪もこれに近いことだと思われる。「すれ違いの持続」である。かくして真の客人のみが選択される。

. 尚、このコーナーは客人の再訪問により追加拡大される事があります。

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(2008/01 そらしま)

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2007/12入手

木喰(食)天然比丘謹拝書 三社神号託宣文 肉筆掛軸
(本紙 w35cm, h72.5cm)

入手文献部分

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木喰著名(左下)

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参考文献木喰出版文献書より

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木喰仏最晩年作

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木喰書跡1 懺悔経諸鏡

これには真言(マントラ)阿字観(阿の字をイメージする瞑想)の空海が中国から持込んだコンセプトが書かれている。その中に木喰作の和歌 「なむあみだ 妙法れんげ のりたれば しをみそなしに くうかいのあじ」 がある。塩、味噌なしに(料理)せずに、素直に味わう空海の味(真言)のダブル・ミ−ニングである。円空、木喰などの放浪僧は一種の魔法使いなので、当然言霊のメカニズムも心得ている。文字の意味は重複し、言葉という物理を限定するツールは同時に音によるリンクで意味を拡散していくのだ。ここでは拡散と集中が同時に起きている。これが妙法である。

木喰書跡2 如来図

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 最上部の掛け軸と下の6点のその部分写真は、入手した木喰(1718〜1810)の書といわれるものである。神棚と同じ用途の神号掛け軸である。上の天照の名の脇に春日大社と地域粗先霊の八幡菩薩の名が記されている。その下に神託が書かれている。その意味は

. 天照大御神 謀計は眼前の利潤たりと雖(いえど)も、必ず神明の罰に当る、正直は一旦の依怙(えこ)に非ずと雖も、終(つひ)には日月の憐れみを蒙る

. 春日大神 千日の注連(しめ)を曳くと雖も、邪見の家には到らず、重服深厚たりと雖も、慈悲の室(いえ)に赴(おもむく)くべし」

. 八幡菩薩「鉄丸(てつがん)を食すと雖も、心汚れたる人の物を受けず、銅焔(どうえん)に座すと雖も、心穢れたる人の処に到らず」

である。

. 木喰は固有名詞だが、木食というと火を通さない菜食の修行のことをいう。木喰は若い頃今の相模原の大山の寺で遊行の途中出会った僧と師弟関係を結び、この木食行を与えられたと自ら書き残している。そしてこの行を一生貫き通す。そのためある時期までは口へんのない「木食」と名乗っていた。

. 木喰は円空(1632〜1695)と比べると時代も後の江戸中期の人であり、親と子ほどの歳の差があり、93才までいきている。円空仏に旅の途中で出会って影響を受けているものと思われる。山梨県八代郡古関村丸畑の人であり、姓を伊藤という。60代から木仏を作り始めたといわれており、北海道江差の金剛寺の子安地蔵が発見された中では最も初期のものである。円空とは違い、旅の途中で出会った人を弟子としたようで「白道」という同郷の僧にも木食戒を与え作仏を手伝わせている。その他にも大勢な弟子と名乗るものたちがいた事が分かっている。

. しかし木喰仏は円空仏とは似て非なるものである。円空が木から仏を引き出すのに対して、木喰は徹底的に造形を作り込む方向だからだ。それは作意性であるし、造形力も円空よりは稚拙である。彫刻的な技術は独学であったように見受けられる。素人ぽいのだ。だが勿論木喰とて芸術家ではない。へただろうがうまかろうがそれは信仰の手段であった。円空が災害地へ頼まれて出かけて行く事も多かったのに対して、木喰はあくまでも巡礼のための遊行なのである。それは己の聖性(ひじりせい)を高めるための旅であり、その霊的スポットで頼まれれば仏像を作った。

. 木喰仏はどこかアール・デコしている。雲のような着物のヒダと後光の直線の放射がエンパイア・ステートビル時代のデザインめいている。古風なサイケデリック様式とも言えなくも無い。どこかにビリケンが潜んでいる。この一種の気持ち悪さで円空仏とはちがい支持者が二つに割れることだろう。上部写真の仏像は木喰最晩年のもの(晩年の消息は不明で93才で死去)で京の清源寺での89才の時の作あるが、アメリカンなソフトクリーム屋のサンダース人形のようである。唇だけが紅で彩色されている。木喰にとって最も大事なポイントは微笑みだから。

. 木喰仏は温泉に浸かっている時、前でお湯から頭だけだしているおやじのようである。 「アフター・バス」なのだ。

. 木喰が仏像により伝達したかったのはこの事につきるのではないだろうか。「にこにこ天国」である。

. 木喰作の「四国堂心願鏡」にはこうある 「みな人の 心をまんるく まん丸に どこもかしこも まるくまん丸」。

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. 「あぁ、いいお湯だった。」

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陶器函  銘「竜宮」0712作     そらしま作 (d11cm, w20cm, h5cm)

 亀が出た玉手箱である。まだ何も中には貯まってない。これからである。玉手箱の中から出て来た煙は「チャラの素」である。「なんちゃって力」である。これは般若心経の心である。

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皺字(にこにこ)         (h33.5cm、w23 cm)

. 木喰書に対峙して書かれたものである。紙魚いでる笑いである。これはしわしわの笑いなのだ。日常的な執筆で書体を替えながら書くのは骨がおれる。皺に頼れば簡単である。うまくかこうとするとへたになる。へたにしようとするとよけいにへたになる。考えないのが一番だ。

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対 客人 水卜画 3

童子071105 (h545mm x w190mm)

. 「赤ちゃん力」である。「子供のようにならなければ私の国へは入れない」と言ったのはキリストだった。しかしそれも3才位までの子供の事で、それ以降は残酷さや、ずるさなどのあらゆる大人性が学習されていく。そしてそれもいずれは捨てられなくてはならない。だが大抵の人間はそれを無意識の中にしまい込む。捨てられてはいない。ひょんな事でそれらは表面化する。現代のような神経症的、分裂症的社会ではなおさら円空や木喰の笑いが希求される。それはキリストの言っている天国の笑いでもある。

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参考文献

書名

出版社

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BOOK OF BOOKS 日本の美術  「円空と木喰」

小学館 

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● ただ今かかっている曲はそらしま作の「客人のテーマ3」です。

(GarageBand 打ち込み、エレクトリック・ギター、尺八、三味線、シンセサイザ−・ドラムス演奏は そらしま)

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