H o m e m a d e  A R T  R e l i g i o n [ M I T S U T A R U ]

  芸 術 教 み つ た る  主 宰 S O R A S I M A  

        01 a      

 

     
 

「汝自身を祀れ」

" Deify yourself "

              

 本尊「みつたる セルフ神」  

 セルフ神とはいわゆる真我の事である。ユング心理学のセルフである。滝に出現した神象は一年間の熟考の末、セルフであるという結論を得たのである。

 水は無意識の隠喩である。錬金術では海や池で表されている。ゆえにセルフ神像は水中にある。セルフは無意識の深淵にあるため普段は垣間見る事はできない。物理的客観的に「過誤除けの滝」で視覚化できたのはそれ自体が奇跡である。己のセルフが共時的に現象化したものと思っている。

 セルフは各自それぞれが持っているのでセルフを祀る事は己を祀る事になるのである。100人がいれば100人のセルフがあるがしかしそれらは同じもので出来ており仏性のごとき一如である。

 セルフを思う事は共時性、シンクロニシティーを引き寄せるので啓示的な直感を得やすくなる。日本神道の神体である鏡の意味するところでもある。そこで、

 「それを内省しそれを祀れ」

 

 

「祈る人を祈れ」

" Pray for the person who prays "

 

 神像の祈る人は己自身であり鏡像と同義である。流れ落ちる水、滝は内的でありながら豊饒なる無意識からの啓示を隠喩する。それは個的に完結しているようで全体とつながっている海への途上である。

 セルフ神の上位には創造神があるが創造者の事は下位次元の我々には語れない。創造主と同じ次元に立つ事は出来ないからである。セルフ神の下位にはあらゆる八百万の神々がある。心理学の元型的な心の有り様の数だけの神々が存在するのである。しかしその中にもあるパターンがあってそれが神話の登場人物達であり、神々の名前である。

 「みつたる教」ではあらゆる願望、現生利益は自分自身に祈るのである。外に反転する内部に向かって祈るのである。自分を成就させるのは自分だからである。自分に祈る事は自力だけを信じて行動する事とは似て非なる事である。祈りは明け渡す事であり、他力本願のメカニズムである。自分という他人に頼み続ける客観である。そこでは自他が合一するのである。

 「みつたる芸術教」のメインコンセプトは錬金術が到達した「対立物の合一」であり、利休茶道の「主客一如」であり、キリストの「汝の敵を愛せよ」である。二極が消滅する中道的な道である。

 

 

 みつたる芸術教のロゴ

 滝に洗われたセルフをデザイン

 「みつたる芸術教」は芸術として宗教をテーマとしているのであり、宗教として芸術を志向している訳ではない。芸術はもともと宗教から発したものでありそこに回帰する。

 現代心理学はフロイトに始まりユングに到達し、それ以上行けば宗教のようなものになってしまう。芸術もまた同じなのである。

 芸術は進み進んで宗教のようなものになるが、それがマルセル・デュシャンのように西洋禅のようなものになるか、ターナーのように光の国に到達するかはそれぞれの作家の世界観による。

「みつたる芸術教」の滝に出現した神体はセルフを象徴しており滝はそれを洗礼する水の隠喩である。

 

2016/05/吉日

 

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●このページの音楽仕様/音楽生物 [synchronix]

組曲「みつたるのテーマ」2015/0401