ゆ め つ な み 5

音泉 - 2

[ 人類の道行 ]

(中庭のための音楽 1007)

 
 

 

 

 
   

 

 

 家に戻ってからのセツは平常心でいたのだが、”とりにわ”のメンバーに退院した事を伝えるのを忘れていた事を思い出し、とりあえず浦島に電話して近況を伝えた。

 「そう、セッちゃん退院してたの、それで気分は大丈夫なのかなぁ。急な事でびっくりしたよ。何か悩んでいたのなら相談してくれればよかったのに。」

 「ええ、もう大丈夫です。なんかこれ切っ掛けに生まれ変わったような気がします。くわしくはまた出向いた時にお話します。みんなによろしく伝えて下さい。」

 そう言ってセツは事務的に電話を切った。今はあまり込み入った話をしたくなかったからだ。しかし次の日には話を聞きつけた崇の訪問を受ける事になった。

 「なんだよセツ。また病気がでたのかい、もういい歳なんだから人騒がせもいい加減にしろよな。みんなあたふたしちぃまうからね。分るだろそこんとこ。」

 「ええ、ごめんね、でももうこれっきりになると思う。変わったから,私、今回の事で、崇君とも少し距離を於いて冷静に考えてみたいの。」

 「そう、そうなんだセツ、お前がそう思うならそうするべきだろうね、少し静かに考えてみるさ、そのうちまた気も晴れるさ。」

 崇は人ごとのようにそう言って母親が出した紅茶を飲んだ。崇は三崎の農園の仕事の途中でセツの家に立ち寄ったようで、セツの元気な顔色を見て安心したようにそそくさと帰って行った。

 セツと崇のあいだは完全に終わっていたのだ。それは自然と言えば自然な別れだった。セツは今まで崇に託していたある基点を Emeraldoor に見つけたのだから。それは元々異性に求めるようなものではなかったのだ。 我々は自分の欠如した部分を異性で補おうとするのだが、それは何時もヴァーチャルで、永遠に手の届かない不在なのだ。

 それはアダムとイヴの太古の昔からそうだった。「人が独りでいるのはよくない」と神はおもったのだ。

 
 

 それにもう一つセツには病院で自分の異性観や人生観を変えたエピソードがあったのだ。

 セツは退院まじかのある晴れた日、病院の中庭のベンチに座って独り前の池の鯉を見ていた時、車いすに乗って連れられて来られた中年の婦人が隣りに居るのをそれとなく気になっていた。

 「藍山さん、ここにしばらくいてくださいね、お魚でも見てて下さいね、すぐに戻りますからね、受付で手続き済ませたらね。」

 看護士はそう言うと車いすをロックして病棟の入り口に消えた。それは今思えばセツの居る事を何気なく意識した行動だったのだろう。 何かあってもセツに通報能力があるのだから。その婦人は体が麻痺して自由がきかないように見受けられ、首だけはかろうじて動くようだった。言葉が話せるのかは分らない。

 「鯉はいいわねえ、自由で。囲われた自由だけどね、でも自由ってそんなもんですよね。」

 突然、セツはそう話しかけられて対応に困った。

 「あっ、はい、そうですね。」

 「でも私よりはいいわよ、自分の体を自分で運べるんですからね、池の中の自由は保証されているのよね。私にはこの庭の中での自由も無いのよ。」

 セツは婦人を慰めるつもりで、

 「でもまだ言葉がおありですわ。言葉は何よりも強力な自由になり得ますもの。」

 セツにある知性を感じた婦人は

 「そう、言葉、鯉には体の自由はあっても表現の自由は無いものね、それは人間の知性で特権ですものね。でもそれは発表されなければ何の意味もないものなの、それは山奥で咲く花のように寂しい事なのよ、おじょうさん。」

 セツはその婦人の顔をしみじみ見ると

 「もう、長いんですか、ここ。」

 「ええ、もう随分になるわね、7.8年ここに居るのかしらね,今、39才ですからね。申し遅れました、藍山と言います。脊髄がだめなの、事故でね高いところから落ちてね、あの頃が私の人生のピークで、急にその時から文字どおり奈落に落ちたのよ。それは急激な変化で始めは夢かと思ったくらいだったわ。あなたはどこが御悪いの?おじょうさん。」

 「 加藤です、加藤セツです。ちょっと怪我しまして、不注意で、でももう明後日退院です。」

 そういうセツの包帯をしていない手首に幾筋もの傷痕があるのを勘のいい女は見逃さずに

 「そう、もう退院なの、せっかくこれからお話できる人が出来たと思っていたのに残念ね。加藤さん。あなたにはある感性があるのよ、ここだけの話だけど、私もただここに8年も居る訳じゃないから分るのよ、人のそう、その、霊感のようなものが。」

 婦人がそう言ったので急にセツもその人に興味が湧いて来て

 「 霊感ですか、そんなもの私にあるんでしょうか、アイヤマさん。」

 「だってあなた何度も死の淵から助かって、まだやる仕事があるからなんじゃないかなぁ。」

 セツはそう指摘されたのに驚き

 「えっ、え、アイヤマさんそれどういう事でしょうか。」

 「分るのよ、私にはね、少し観察力のセンサーを敏感にすればね、誰にでも分る事よ。」

 セツはいよいよその婦人に興味を持ち

 「それじゃぁ藍山さん、私のこれから遣らなければならない事をお伺い出来ますか?」

 「そうね、加藤セツさん、あなたは慌て過ぎなの、慌てなくても人類には遅かれ早かれ終わりが確実に来るの。その安らぎを受け入れればいいのよ。」

 セツはこの女はいったい何者なんだろうと思い、もっとじっくり話し込んでみたいと思った。しかしそこへ看護士が帰って来た。

  「藍山さん、お待たせ、そろそろ病室へ戻りますよ、ここは少し寒いですからね。風があるし。」そう言って看護士は車いすを押し始めたので、

 「あのぅ〜、藍山さん、病室は何号室ですか、退院までに空いた時間に伺ってもいいですか?」

  「ええ、どうぞ、どうせいつも暇なんですからね。609よ。藍山哀子。私もあなたにもう少しお話したい事があるの。あなたの言ったその『言葉の力、自由』についてね。」

 そう言うと女は、中庭の回り廊下の中へ消えて行ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから退院までのまる一日、セツは合間を見て609へ通った。昼の食事をキャンンセルしたくらいだった。婦人は完全介護でトイレもオムツと尿道に管を入れていた。

 そこで退院までの限られた時間に話された事はとんでもない事だった。

 その婦人は人類に対して決定的なテロを自分は施しており、しかしその事は誰にも知られずにおり、これからも知れれないだろうというものだったのだ。人類は自らが滅びの道にある事も知らず、じょじょに人口が減って行き、気がついた時には滅びるしかない過程にあるのだとその人は言ったのだった。

 セツは俄には信じがたいその話を、詩的な興味も加わって聞いていたのだ。この女は一種の偏執狂的な病症も合わせ持っているのかも知れない。そう思いナース・ステイションで609の患者の病名を聞いてみたのだが、それは教えてはくれなかった。

 「だから、セツさん、あなたは退院してからも私と連絡をとってね。まだまだ私はあなたに言いたい事が山ほどあるの。」

 それは哀子の常套手段だった。哀子はこうしてこの病院にいる内に何十人もの弟子のような関係のネットワークを外の世界に作り上げていたのだ。哀子は左手と首だけが動いたので、携帯電話を持っていた。何年も前に同じような手口で知り合った女に外で購入させたものを持ち込んでいたのだ。哀子には元々こういった女教師的なカリスマがあったのだ。それは良くも悪くも哀子の才能であり人格だった。

 セツはまんまとその手に乗って、退院してからも哀子への電話連絡と面会を欠かさなくなり、悩んだ時には助言を求めるようになる。

 
 

 しかしセツは哀子と猪俣、そして何よりも紅姫こと、真美との関係を知る由もなかったのだ。それはけして赦される事のない犯罪的な関係であり、セツもそれと知っていたならば哀子に近づきはしなかっただろう。まして崇の妹が真美であり、哀子によってその人が幼少時に誘拐され、監禁された過去のある少女だったとは発想もされなかったのだ。

 セツは哀子のその毒性に完全にのめり込み、信奉するようになる。哀子は哀子でセツを自分の外界での分身として認識していたのだ。

 

 

 

 

 

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 使用されている音楽 [synchronix] は、ギターシンセサイザーによる、ヴァイオリン、サックス、フルート、ウッドベース、エレキベース、録音による尺八、三味線、ドラム、パーッカッション、リアルノイズ音、編集ミキシングはすべて「そらしま」によるオリジナルです。

 何時アクセスされても半永久的に同じフレーズの主題は流れません。一日流れていても飽きのこないアンビエントとして制作されました。

 また使用されている立像 ( ぼける立体 { 暈体土帰 } うんたいどき) はすべて ”そらしま” によるオリジナルで陶器製です。