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「先生もハダカに・・・・・」

 練金術はやわかり 

 あるいは「自殺はやめなさい。」

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哲 学 者 の 薔 薇 園
by そらしま

図-1

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. 図版を検証するにあたり、錬金術のイラストの中でも最もシンプルなユングも使用している「哲学

者の薔薇園」(1593年)を用いる。

. 我々東洋人に錬金術が分かりにくいのは、それがヨーロッパ人の集合無意識に加担しているから

だ。しかしそれはさかのぼればエジプトのピラミッドの中にまで侵入するので、そこまで来れば東洋、

西洋を超越したオリエンタルだからあまりその事を心配する必要はないのだが。

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. それでは、もう一度錬金術の図版に戻り、順序よく「哲学者の薔薇園」の順路を歩いて見よう。上

の図を御覧戴きたい。「哲学者の薔薇園」の始めのイラストである。

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. まず入口に噴水がある。

. 水は、プールは、海は、己の無意識を示し、それはこれから我々が入らんとする炉であり、カオス

である。

. それらは子宮でもあるのでその中で錬金術の胎児「ホムンクルス」、「賢者の石」が成長する。

. それは「セルフ」、「真我」の発見の事でもある。この検証は結論をまずはじめに明記し、あとは

その説明となる。気の短いお方はここでああそうかと、後の長々とこ難しい文章を回避する手もある。

. この薔薇園の散歩はつまるところ無意識を意識する事によってその中にある真に動かないあなたの

愛を見つけだす事にある。しかしこれはタカラズカ歌劇ではない。もっとポルノチィックで近親相姦的

なサバイバルな愛なのだ。己の内なる異性を己で犯さなければ達成しえない禁断の花園なのだ。

. 「セルフ」、「真我」、「マンダラ」、「愛」、「賢者の石」、「金」は殆ど同意と考えていい。

 錬金術の「金」は「金より価値のあるものの事」であるにもかかわらず、俗人的王達の勘違いによ

り、これまた詐欺師まがいの偽練金術師達が雇われて、ぐずぐずその結果を遅らせたのだろうと推測で

きる。長引けば長引くほど自分の生活は保証されるのだから。

. 薔薇園への入場は真の心の扉を開く事だったにもかかわらず、偽練金術師達がよってたかってライ

ブな自動ドアにしてしまった。(0601)

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. さて図版に戻ろう。

. 我々の無意識の噴水プールには三つの蛇口から三つの溶液が流れ込んでいる。

. 「鉱物のメルクリウス、植物のメルクリウス、動物のメルクリウス」である。これからも「メルク

リウス」と言う用語は頻繁に登場するので「無意識」と読み替えると意味が簡単に通じるようになる。

. 「メルクリウス」は錬金術の書では最もよく使われる語で同意語がかなり多くあるのでそれらを把

握すればすでに錬金術の書の半分は理解出来たと言ってもいいくらいだ。

. それは我々の無意識の中に記録されている「鉱物の記憶、植物の記憶、動物の記憶」でもある。そ

れはいつも無意識より我々が助けられているデータの事でもある。マイホームパパの家が木と土と、革

のソファーで出来ているように。

. また鉱物は物質であり体、植物は生命、動物は心と霊を持つものを意味している。しかしこれらの

流入は未発見であり、我々の中では意識化されてはいない。これはオカルト的にいえば、人体の「肉

体」、「エーテル体」、「アストラル体」に対応している。生命が無くなれば我々は死体となり腐敗し

て鉱物となる。

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. 噴水の上には「太陽と月」が浮かんでいる。

. これは無意識の変容の際欠かす事のできない媒体であり、両親である。太陽と月は近親的異性関係

を表す。その中間に星がある。この三者は三位一体の観念を秘めている。

. さらにその上に「双頭のヘビ」がニ本の蒸気をはきだして冷却した煙りを下へ降下させている。

. これはこの装置が循環して純化するシステムである事を表している。仏教思想唯識でも意識から善

悪の種が自我意識のマナ識を通り、生命執着力であるアーラヤ識に貯えられ、また浮上する心の循環装

置を認識していた。

. それは「十字架上でのキリストの受難」の肉体が輪廻する受肉の再生装置でもあるのだ。

. ここでもキリスト教的、あるいはそれ以前のヨーロッパ集合無意識であるキリスト教以前のグノー

シス派やマニ教、あるいはそれ以前のエジプト的なるものの意識が登場する。

. 実は練金術の全体像自身が「キリストの復活」、「天地創造」のシュミレーションであり、そのキ

リスト圏的意識を東洋的に置き換えれば「禅の十牛図」、「金剛界マンダラ」、「双六的人生マンダ

ラ」、「農の過程」でもあるのだ。

. 錬金術とは一種の農業の事でもある。何も難しい事を考える必要はない。農夫が畑を毎日耕しなが

らその植物の生育過程を自分の人生に重ね合わせて瞑想している事に似ているのだ。現実社会でも農業

こそすべての基本であり、その他の膨大な仕事はそのアシストとして生まれたものでしかないのだ。種

はニグレド(土)に蒔かれる。潜在的生命力はその中の熱と腐敗の力によって発芽する。

. きみの悶々としたリビドー(性力)と憂鬱は発芽するための力だ。自ら死んではいけない。人を殺

す必要なんかない。それは発芽の信号なのだ。職場や学校での障害や敵対をスポーツ化する必要がある

だけだ。そこには誰も偉い奴なんかいないのだ。そこまで考えたきみにたいしては誰もが無力だ。その

武器はフニャフニャなたわ言に過ぎない。聞き耳を立てる価値もないのだ。

. つまりそれは、あらゆる宗教的順路と一致する。

. マイホームパパの人生でもある。

. つまりパパは、何度も同じ失敗を繰り返しながらその人生を純化させ、ついにはついに家庭菜園を

営む日常風景に溶け込んでしまうどこにでもいる聖人として、鍬を振り降ろす人となるのだ。しかしこ

のパパは普通のその人達とは似て否なるものだ。パパはそれらの旅を客観している。それだけの違い

だ。

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. と言う訳で、この始めの1ページ目にすべての錬金術のテーマが隠されている。後のページはその明

細でしかないのだ。「始めのものは終わりのもの」である。

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