Synchronix Sounds System

[ある日 曇った海で]

by sorasima

「 あるいは猪俣の部屋で(イノマタ・メモ)

 

 

2

 

 
 
 
     

 

                

 路子は昨日のように又、鳥の声で目が醒めた。

. 昨日と何も変らない朝だった。変っていたのは、鳥の声だと思っていた、庭に面した路子のゲストルームに流れている、浦島が流しているらしいアンビエントな音楽だけだった。あくびをしつつそれに耳を傾けると、それは反復していた。反復して変化して行った。反復する同一性は変化するための同一性でもあり、それは両極の合一で、錬金術的だ。

. 路子は昨日のように一階の温室のリビングに降りたのだが、そこにはすでに浦島がいて、何やら黄色い箱の中の沢山の書き付けを見ている様子だった。

. それは路子にも馴染みのある鎌倉みやげの白い鳩の絵のついたクッキーの、黄色いブリキ箱だった。

. 「みっちゃん、これ猪俣が残していったメモの箱で、今整理しているんだけど、ナゾだらけなんだ。最後に猪俣から来た手紙がここにあるんだけど、それは僕が持って来た物で、比較的読み易いから読んでごらんよ。メモの方は猪俣のへたくそな字と相まってほとんど解読不可能さ。」

. そう言うと浦島は路子に前出の猪俣の手紙を差し出した。

. 路子は浦島が入れておいただろうカウンターの上のコーヒーメーカーから、勝手にその辺に置いてあったマグカップにコーヒーを注いで、その手紙を楽譜のように片手でかざしながらそれを読み始めた。

. 浦島はカウンターの上にそのメモ達を並べ始めていた。

. 路子は浦島から猪俣がそうとうなオーディオ・ファンだと聞いていたので、このトランジスタ・アンプやら、中国製だのが気になって浦島に聞いてみた。

. 「ねえ、おじさま。このオーディオ・システムって猪俣さんにしては軽くな〜い。」

. 「いやいや、みっちゃん、それは猪俣が僕の誕生日に僕の安物のラジカセを見て、見かねて僕のi-pod用に送ってくれたシステムの事を言っているんで、この家のリスニング・ルームの方はそんなもんじゃないんだよ。各部屋に這っているスピーカー・コード売るだけで一生食べていけるくらいの代物さ。」

. 「コードで? 何でそんなもので一生食べられる訳ですかねぇ?」

. 「それはね、みっちゃん、13金とまではいかないにしても金だよ、金、コードが。サビないように。錆びて電気抵抗を起こさないように。」

. 「ぎゃ、マニアの気持ちって分かりかねますね。」

. 「廊下の向こうのリスニング・ルーム案内するから見て御覧よ。ほとんど興味がない僕でも、これはただ事ではない機材だって分かったからね。」

. 「ふぅ〜ん。」

. 路子は気の抜けた返事をして猪俣が机の上に並べているメモを見つめ始めている。

. 「そうそう、みっちゃん。何か曲かけてみる。みっちゃんの好きな。」

. 「そうね、シャーディでも。」

. 「シャーディねぇ。リスニングルームのパソコンを検索してみるよ。このノートパソコンで。あるある。今かけるよ。なんでもいいのかな、シャーディならば?」

. 「ええ。」

. 「猪俣はずーっと前から音楽商品がCDレスになる事を予感してたんだ。本がペーパーレスになるようにね。21世紀では芸術商品はどんどん物質が希薄化して霊化して行く事をね。絵画も別に壁に掛けなくてもWebでみていればいい訳でしょう。」

. 「でもおじさま、それじゃぁライブ感が希薄ね。」

. 「いや、みっちゃん、WebにはWebの新しいライブ感があるさ。たとえばエンドレスの音楽ループファイルはWebじゃぁなきゃ再生されないでしょ。CDじゃむりなんだ。レーザーの針が戻るのに時間がかかるからね。TVもいつも同じ曲が廻っている訳にはいかないからね。ライブとは何も肉体だけが生きていて、その出合いの事を言っている訳じゃぁなくて、つまり握手できる事だけがライブじゃぁなくて、霊的なライブもあるんじゃぁないかな。たとえばそれはWebでの同時多発性やゲストの参加性の事さ。」

. 「ふぅ〜ん。」

. 路子は二度目の気の抜けた返事をして

. 「ねえねえ、ところでおじさま、このメモ。猪俣さんの、ここに書いてあるこの『外面と内面が木霊する』ってどういう事かなぁ。」

. 「さあね、猪俣の芸術観でしょ。芸術はもともと内面、つまり心の表への表現だからね。」

. 「ふぅ〜ん。」

. 路子はまたも同じ相づちをうった。

.

. 温室にはシャディの瞑想的なロックバラードが流れている。路子はあまり気付いていないようだったが、その音はあたかもシャディのバンドが温室の片隅で小さな音で演奏しているように流れていたのだ。

. 防水された高級なツイ−タ−(高音用スピーカー)からは、本物のシンバルのようなハイハットの音がまったく歪まないで20mも離れたここまではっきりと聴こえていた。

.

. 「ところでおじさま、猪俣さん、普段どんな音楽を聴いていたのかしら。」

. 「あっ〜別に何も・・・」

. 「何もってどういう意味?」

. 「音楽はあまり聴いていないようだった。晩年は自分の完成させたシステムで聴く音楽はないとまで豪語してたね。もっぱら自分で録音してきた自然音とか聴いてたからね。ほら、あるでしょ、水の音とか風の音や雨なんか録音したCD。ああいったものさ。」

. 「何それ、ですね。何千万もかけたオーディオで音楽聴かないなんてね。」

. 「何千万じゃなくて、億はいってるでしょ。

. 猪俣は少しピアノが弾けてね。朝起きるとピアノに向かって5分くらい鍵盤を叩いて、それが録音してきた自然音と一緒にエンドレスでその日のバック・グランド・ミュージックになるような装置を使っていたんだ。ピアノもシンセピアノで、いろんな楽器に変換する事が可能だったようで、僕が行く度に、シタールの音楽だったり、ブルースのサックスだったりしてた。猪俣にとっちゃ音楽も料理のように人間の生活に日常的に必要なもので、それは日記を書くように習慣的になされ、手作りだった。原始の人達のように。

. 音楽は誰かうまい人達が奏でてくれるものではなく、自らが自らのために行う祈りのようなものであるべきなんだなぁ、本来はね。」

. 「あらあら、Do it your self? でもそうやって原始林の暗い洞窟から分業していったのが文明でしょ?」

. 「でもみっちゃん、ここに独りで住み始めてつくづく思うんだけど、いくらお金があっても、毎日三度三度誰かに料理作ってもらうのも退屈になると思うよ。たまには自分にあった自分の味を作ってみたいものさ。人には不味いと言われても。嫌いな人のために毎日料理を嫌だ嫌だと想いながら作らされていたら、それは毒になるね。それは料理が本来瞑想であり、祈りであるからなんだ。そのように音楽も、ダンスも絵画も、本質は神秘さ。

. 人間に限らず生物の日常は、霊界の雛形を物質化する仕事を、毎日無意識に黙々とこなしているよね。」

. 「分かった、分かったおじさまのうんちくは。」

. そういうと、路子はコーヒーをコーヒーメーカーからもう一杯カップに注いだ。

. 

. 庭でうぐいすが啼いていた。温室にはまだシャディの曲が流れていた。

. ―― 我々は何の雑音もなく音楽を聴く事はあり得ない。ただ脳が音楽以外のものを雑音として排除しているだけだ。無音室に於いても内臓音は確実に音楽の独立性をじゃましている。そういった意味では究極のオーディオ・システムは脳の方にある。薬物による音感の機敏化は知られたところだが、将来「オーディオ・ドラッグ」なるものが発明されるかも知れない。どんな機材でも、音さえ素晴らしければそれでいいではないか。 ――

. 浦島は実のところはそう思っていた。

. シャディの曲が終わったかと思うと、自動的に猪俣が作ったのであろう、和風な抽象的な曲に音楽が入れ替わった。浦島はメモを手にして、その読みにくい文字に顔を近付けている路子の細い指を見つめながら、それが一枚だけ場違いのように黄色いブリキ缶の中にあったどうしても浦島には理解出来ない、なにやら村芝居の台本のようなメモである事に気がついた。

.

つぎのページ

.

● ギター・シンセサイザーによるウッド・ベース、尺八、&ガレージ・バンドによるミキシングはsorasimaによる