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[目眩の楽団]

by sorasima

「 あるいは猪俣の部屋で(イノマタ・メモ)

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 春花多き山路をいくも 日のある頃は汗ばむ陽気 羊歯の陰に吸い込まれるは 死んだ子供の妖気の次第 絣の着物もしっとり濡れて 幽かに見える山屋の幡 村の小間物商う住まい 絣の紬も旅路に重く 刺し子の野良着に着替えたく 聞くだけ聞いてもしやと思い 近寄る店先華やいで 珊瑚のかんざし 亀の櫛 産後の痛みに裾を噛む むかしむかしのそのむかし 流れた子供は今どこの岸 郭地獄は今も華やぎ 来るや来ないの客騒動 遠い昔の事とは言えど 琴音のようには綺麗に響かぬ 事の次第はそのようで 間男隠す押し入れも 今では物で溢れけり こんなご時世からりと捨てて かくても芭蕉の句のように ありやなしやじゃぁ寂しかろうて あたしゃ藤花の滝くぐり抜け 急に降り出すさみ時雨 小間物屋へと走り入る

 「これこれ、おたくに刺し子の野良着 ありはせぬかと」尋ねるてみれば

 「へぇ〜、これはこれはお女中。野良着なら今度雇おうと思っていた村娘のために用意した新しいものがございます。年格好も丁度よろしかろう。よければ着てみておくんなさい。」

 「爺さん、それは願ったり叶ったり。お足でおはらいもいたしましょうが、今着ているこの紬、旅路にはじゃまになるもの。よければこれと換えておくれでないかい。」

 「へい、さようですか。」と言うと店のおやじは品定め

 「これはこれはお女中。こんな高価なものはうちの野良着とは比べ物になりません。五枚、十枚でも交換したいものでございます。庄屋の奥様のもとへ献上すればたいそうな羽振りというものでございます。いいんですかねぇ、こんな素末な物と。」

 「はいはい、あっちは一向に構わぬが、ついでに足袋と草履も付けておくれでないかい。」

 「へいへい、それはもうよござんす。それでは奥の部屋で着替えておくんなさいよ。」

 そういうと店のおやじは奥の部屋の襖を開けたのでございました。

 その時外から大きな音が聞こえて来たのでございます。それは辰狐には聞いた事もないバテレンの音楽で、大勢の奇妙奇天烈な衣装の異人達が、黄金の壷のようなものを吹き流して、店の前を通り過ぎていきました。おそらく浦賀あたりに上陸した者達が、江戸へでも向かう途中の行列かと思われましたが、辰狐にはそれよりも、そのバテレンの音楽が、楽隊の行列が長いために前よりも後ろの音楽が遅れて聞こえてくるめまいのような感覚に、しばらく頭がふらふふらして座り込んでしまったのでございます。

 それは辰孤が御岳山のさざえ°堂の暗闇で感じた、双子が双子を産み、またその孫が双子を産むような、世界が万華鏡のようになっているような秘密の再現のように聞こえていたからでございます。

 その時思い出されたのは郭に居た時、計らずもある偉大な人が客として、辰孤の部屋を訪れた時の事でございました。

 その人は織部様といい、本来ならば辰孤などには一生何をしても逢う事がかなわぬ雲の上の人であったのでございます。その人は美濃の国への旅の途中で急にぐわいが悪くなり、どこでも良いからと、ちょうど前にあったこの茶屋に駆け込んでこられたとの事でございました。

 本来ならば花魁がお相手しなければならない御身分であられましたが、あいにく上級の女達はすべてお得意の座敷へと出払っており、辰孤とやりてだけが留守を預かって、後は年端もいかぬ禿だけが数人いるばかりでございました。

 織部様は『いや拙者は遊びに来たのではない。ただこの日差しで少し目眩がして、半時ばかり横になりたいだけだ。』と言われ、辰孤の座敷にやりてによって引かれた上客用の錦の布団に、横になられたのでございました。急な事で辰孤も部屋を片付けている暇もなく、可愛がっている禿の描き散らかした半紙など散らばってそれはもう恥ずかしく、恐れ入って部屋の隅で小さくなっていたのでございました。

 織部様はこともあろうかその禿の絵を見つけられて、『ふ〜む、これは茶の心ぞ。』とおっしゃって、この半紙をくれるように辰孤に申しつけられたのでございます。辰孤は何の事やら分からず、そんな偉いお武家様がそんなものを所望される事に只々、口を開けて驚いてお辞儀をしているばかりでございました。

 そして何よりも驚いたのは織部様の打てば響くようなそのお言葉でした。辰孤が何か言いかけると織部様はすでにその内容をお見抜きになっているかのように、お話になったので、辰孤は思っている事を半分も話さなくても意思が通じてしまい、さすがに天下のお侍は何時も相手にしている町の衆とは違うものだと関心したのでございます。

 一時ほどお眠りになられたでしょうか。辰孤はその間じっと織部様をお守りしていましたが、気分もほどなく回復されて、辰孤はやりてのお持ちした安物の茶菓子とお茶をお出ししたのでございますが、その下谷の駄菓子屋で買い求めた小さな白せんべい三枚ほどの二枚半ほどお食べになって、それが乗っていた黒い漆に兎の蒔絵の器を畳の隅へと置かれて、下の土間に待たせてある沢山の家来衆の処へと、お立ちになった時に一言辰孤に『お前も事情があってこのような処にいるのだろうが、早く手段を整えて、一刻も早く立ち直るのじゃぞ。』と仰せになり、しふくに包んだ小さな香合をくださったのでございます。

 辰孤は丁重にお見送りして、お茶椀を片付けようと漆の皿を見つめた時でございます。織部様のお残しになったその白せんべいが、夜の兎にかかった三日月になっていたのでございます。

 辰孤も店が暇な時は上の姉さんからお茶の指南を受けた事があり、三味や踊りよりも自分はなによりもこの茶道とお花をいける事が好きになっていたので、やりてから織部様が天下のお茶の師であると聞かされた時は、身震いがしたのでございましたが、織部様には何も分からぬ辰孤などでもはっとするような身のこなしがあって、この兎に三日月もその所作のように自然に身に付かれ、天然に出て来てしまう事であろうと思われたのでございます。

 そして織部様が大勢の家来衆と引き上げられた後で部屋にもどり、そっとその香合だと言われた包みを開けてみたのでございます。それは茶と苔色の釉薬で兎が描かれた丸い香合でした。辰孤はここにも兎が描かれているのは偶然にしても不思議で、その中に入っていた小さな和紙に包まれたお香の匂いたるや、この世のものとも思えぬ香りがして、ふたを開けた瞬間に店中にその香りが漂って、驚いた禿が階段を駆け上がって来たほどでございました。とはいへ辰孤はこれとよく似た香りをかつて何処かで経験したような感覚に襲われたのですが、どうしてもそれが何処なのか思い出せないでいたのでございます。

 それがこの今、通り過ぎる西洋の楽隊の音楽に目眩がして座り込んで居た時に、急に何の前触れもなく思い出されたのでございました。

  それは辰孤がまだ九つか十の頃、鶴菊と呼ばれていた生娘のまだ幸せだった時分に、青梅の山の中の村から、街へ母親に貰った少しばかりの金子を握りしめ、初めて村祭りを着飾るのために、安物の櫛を買いに出た時のことでございました。

 なにしろ街へは今まで母親と一緒に来た事はありましたが、独りで来るのは初めてで、不安と好奇心が一つになり、自分はもう大人なんだと言う気持ちと、そうだとしたらこれから段々と独りで生きていく事を考えなければならなくなるという恐怖とが一つになって、青梅の街の旅籠のある大通りをふらふらと歩いている時の事でございました。

 確か安物を売る小間物屋は一度母親と来た事があり、家を出る時にも母親に散々道順を聞いて、この大通りよりもう一つ二つ裏の通りだったと思い、金物屋の横を入って、その裏の通りのもう一つ裏の、薬屋の看板のある処を左に折れて、楠のある井戸の処を左へとはいり、すり切れた染物屋の染め板の干してある当たりにその店はあったはずだと、来てみたのですが、見当たらず、そうだあそこは右、こちらは左と迷っているうちに、何度も同じ薬屋の看板の処へ出てしまい、しまいには泣き出しそうになって、握りしめた金子を尚一層強く握りしめ、横丁に突っ立ていた時の事でございました。

 村祭りの練習の太鼓の音が、青梅の山々に木霊して、幾十にも重なって聞こえ、斜め前にあった薬屋は香具も扱っているようで、客引きのためにか誰かが香を焚いて、その香りが迷い子のような辰孤の心象に、太鼓のエコーと共に入り込んで来たのでございました。

 「そうだわ、あの時の匂いなんだわ。」

 そう思い、辰孤ははっと気づいたのでございます。

「あの時、織部様から頂いた香は、それよりも、もっと昔のあの時の香の香りだったんだわ。」

 それは昔の疑問がそのまた昔にリンクして、今の辰孤にその昔の昔からフィードバックしてきたような不思議な感覚を、そのバテレンの楽隊の音や、祭りの太鼓、小間物屋、薬屋の看板などともに、瞬時に辰孤にもたらしたのでございます。

 その時、小間物屋のおやじが衝立越しに、

 「お女中お聞きになられましたか、見られましたか今の西洋のお囃子を。わたしゃ、あんな奇妙な音は未だかって聞いた事もなく、冥途のみやげにでもしようかと聞き入りましたよ。

 さぞかしお山の木々達も、やけに驚木、フルート震え、まだ青木ラッパも落ち葉となって、銀杏我らも高見の山椒、二度と紅葉、めったに出合わぬ檜うま、これはこれは何百年も蔦えにや楢ぬ片栗草」

 「おやじさん、おやじさん、刺し子の野良着もぴったりで、これよりの旅路も軽くなりありがたく、それではこれでおいとまします。」

 「へいへいこちらこそありがとうございます。これはほんのお礼です。旅の化粧にでもお使い下さい。」

 と言うと小間物屋のおやじはつげの櫛をくれたのでございました。よく見るとそれにも偶然に兎の線彫りのかざりがあり、辰孤は偶然に次ぐ偶然に驚きながらも顔には出さず、ここで話し出せばまた話が長くなると、日の暮れぬうちにこの相模の山を越え、丹沢のお池の宿場に着かなければいけないと、バテレンの楽団も往っただろう山道を下り始めたのでございます。

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● ギター・シンセサイザーによるウッド・ベース、尺八、&ガレージ・バンドによるミキシングはsorasimaによる