ウォーホールの糸 2002〜

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NO.-001


. それでまず初めに「今、アートの先端はどうなているの か?」を簡単に観察、検証して

から「アートとは何 か?」という本題を考えていこうかと思います。

. マルセル デュシャン(1887-1968) の直系であるウォ− ホール(1928-1987)とい

う画家がアートをフェイクにしてしまってか ら、芸術という観念の破片は修復不可能な

位、遠くへ散乱してしまった様に見えます。

.  利休織部がそうだった様に、愛弟子は先生とは正反対の ことが出来る力を持っている

ようで孤高の先生を横目 にウォ−ホールは大衆的に売れまくり、彼を超える人影は今だ見え

隠れもせず、あるいは、もう現れないかも知れず「王様は裸だ。!!」と言ってしまった子

供を、一体、 誰が超えることが出来るのでしょうか?

    

マルセル デュシャン

Marcel Duchamp (1887-1968)

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NO.-002


. それでは、もう少し上記のことを詳しく考えて行きましょう。

. 「アートをフェイクにした」と言いましたが、この概念は現代美術を理解する上でとて

も重要なカギで、つまり昔起こった芸術運動のダダイズムというものが提唱した反芸術とい

う、芸術をまるごと否定してしまう様な概念上のテロリズムの子孫である考え方なのです。

芸術を逆手に取ったパロディーの様なものと考えていいと思います。


ウォーホルはキャンバスに印刷した写真を、絵画として発表し、にせものの絵を芸術にして

しまって大衆にも大受し、ちゃんと絵画としても流通したので、偽札が出まわり過ぎて、回

収できなくなった様に「お金として認めてしまえ!」状態になったのでありました。

アンデイ ウォ−ホール

Andy Warhol(1928-1987)

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アルタミラの絵画はすでにモダンアートを無意識に孕んでいる。それはけして原始的な知性が創造したものでなく、フォルムはしっかりとした骨格を持ち、焚き火の火の揺らめきで生きて揺らめき、岩の凹凸を生かしてレリーフ化しており、絵画の平面性、不動性をすでに超えている。

「昨日まで動いていた牛や鹿は今、私に食べられるために結果としては生きて来た。私は彼等に生かされている。感謝と愛情をもって私は彼を解体した時見た、内臓や骨までも思い出して描く事が出来る。」

アルタミラ人達は本来の絵画を製作する。それは宗教的なるものであって芸術ではない。現代の画家が写真を手本に絵を描くのとは根本的に絵描かれるものとの関係性が違うのだ。我々が動物園で牛をスケッチしている関わり方ではなく、彼等は殺し、食べ、鹿達を天国へと送りだす。ダビンチも人体を解剖したではないか。

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NO.-003

. それでは、今、なぜそんな物が芸術になってしまったのでしょうか?それを知るには少し

西洋の芸術の流れを知る必要があります。

. アルタミラの洞窟のウォールアートに始まり、教会の壁画へて、写真の登場で絵画の写

実性が問われ、それではということで、芸術はどんどんセンスを重視するようになり、それ

でももの足りず知的な部分へと意味を広げて行きます。「技術やセンスは工芸やデザインに

任せておう。」と言う訳です。それはそれで自然な流れなのかも知れません。近代はどんな

分野でも分業化して行ってより細部を追求して行ったからです。芸術が「芸術とはなに

か?」を考えた結果、どんどんダイエットして痩せ細っていくのは、、芸術に限らず行き着

く流れなのかも知れません。

マルセル デュシャン「泉」

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NO.-004

. そこで近代アートが到達したのが「ディレクション(監修)とチョイス(選択)」という

ことでした。「この絵は赤い色を使って炎を描こう。」と考える作者の選択そのもの、つま

り「コンセプトがほんとうに表現したい無印良品だ」と考えるに到った訳です。「コンセプ

トをダイレクトに見せる事こそ綺麗で感動の素だ。」と。

. このような考え方の中にが彼の先生であるデュシャンが発明した「レディメイド(既製

品)」と言う方法論がありました。

「突き詰めれば、私が指さしたものが私の作品だ。私はこれを美しいと思った。」と言う訳

です。それに共感した一部の作家達は今まで自分が描いていたセンスな絵をかなぐり捨てて

コンセプトだけを表現する事にしのぎを削り始めました。その流れの枝も幾つかに分水して

「いやいや、絵の具そのものが美しいから絵の具のチューブをそのまま飾ろう。(物派)」

「いやいや、絵を描いている姿そのものが面白いし、そもそも絵の具を使う必要もないから

パフォーマンス。」「いやいや、写真で充分。」や「そもそも作品を見る事自身が芸術を考

える事だから作品だ。」など、色々な方々が登場したのでありました。

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ステラーク氏の人体作品化パフォーマンス

(これは実際筆者も針を手に取って氏から見せてもらったが、マグロ用の釣り針であった。)

STELARC 1980年 TOKYO

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クリス・バーデン氏の放送局ジャックのパフォーマンスと証拠物件的作品(氏は危ないパフォーマンスで有名であり、この他にもワーゲンの屋根にキリストのように手のひらに釘を打ち走り回るというものまである。)

CHRIS BURDEN 1972年 California

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NO.-005

 その流れでウォーホールを見なければなりません。単なるナウいイラストでは無いのです。

それも一体化している所がみそですが。

. 彼は「コンセプトもダサイ!」と言ったか言わないか、本当に白痴的なものを提示した

のでした。「これは絵では無い。」と書いてある絵の様な物が、写真の印刷物が大量に並べ

られていたのでした。その時、今まで西洋芸術の流れを見てきた人達は愕然としたのでし

た。この愕然とする言う感動は近代芸術では最上級の目的で、それは「見る人々の価値観を

通してその人の人生を変えてしまおう。」と言う目論みに他ならないのでした。

 それでは、これはデザインやイラストやポスターと、どこが違うのでしょう?  故人で

関西のちょっと天才的な落語家 桂枝雀 氏は「座布団を放せば落語では無くなる」と言って

暴れまわっても野球のベースの様に絶えず座布団にタッチしていることを信条としていたと

いいます。ウォーホルも例外もありますが基本はキャンバスに印刷したものをアートギャラ

リーで発表したのでした。芸術としてやっていると表明し続ける必要は外してはいないので

す。それだけの違いなのです。それがコンセプチュアルアートの芸術である証明なのでし

た。

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アンデイ ウォ−ホール[Flower]

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NO.-006

. と、今まで話して来たのは西洋の芸術と言う観念の流れでしたが、では東洋では どうな

っているのかと言う事になります。

. もともと芸術という価値観はどこかで発生して世界に散らばっていったのでしょうが、

それぞれの場所によって、違った発達をして、我が日本国では西洋とはひと味違った流れを

形造ったのでした。
  
. なんと西洋でデュシャンなどが20世紀に到達した世界は、なんと日本の室町時代の芸術

感にすごく近いものだったのです。


. 室町時代に完成した茶の湯を例にとりますと解り易いと思われますが、利休という茶パ

フォーマンスの完成者は“デュシャンのレディメイド”に対して“みたて”というものをす

でに多用しておりました。当時の朝鮮半島の民家で鶏に餌でもやるための雑器のような井戸

茶碗や、日本の農家で使われ、すり減ったような鉄釜を「これ、大名物。」「これ、芸

術。」といって高値で大名達に売付けたのでした。ここに、すでに現代の芸術と言う概念が

芽生えているのでした。

. “ゴミをキレイまで持ち上げる”という魔法は西洋ではやっと近代になってから到達し

えた美なのですが室町時代にすでにその美意識が芽生えているのでした。

. 又、“茶の湯”の実体が一つの大きなパフォーマンスアート(行為する芸術)やインス

タレーションアート(空間装飾)だった事も極めて現代的です。

. 利休の一番弟子の山上宗ニは自分の茶会に来る客のために落とし穴を掘っておいたとい

う話もあるくらいで、お茶の粉にもいろいろ美味しいものも混じっていたという噂もあるく

らいです。ニーズはトランスパーティーにも似て、ドラッグだろうが何だろうが客は明日死

ぬかも知れない武士であり、とにかく利休先生のセンスは現代美術していたのでした。

. 彼の“わび さび”は現代のヨ−ゼフボイスなどのジャンクアートのセンスを予言する

ものであり「あばら屋に馬のいななき」は「横須賀裏通りを走りぬける真っ赤なポルシェの

爆音」の美に他ならなっかったのでした。

. “わび さび”は普通言われるように単なる古びた様子ではなく“死に行くものの中に

生まれて来る生命のコントラストな美”の事です。

. お茶の緑を生かすための古びた楽茶碗です。一輪のつばきに集中するわびた佇まいです。

. 老人が破れたジーンズを履いていてはいけません。それは君のフレッシュな肉体を生か

すためです。

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黒楽茶碗 銘 大黒 作 長次郎

 

名器は美味しそうである

ちり穴 裏千家

茶道にとってはゴミ捨て場も美である

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NO.-007

. そのような茶道などの室町時代に台頭して来た新興宗教の"ZEN"のコンセプトをそのまま

芸術化した利休は、建築や造園などにも禅ミニマリズム(最小表現主義)を多用していきま

した。

. 難しく語られるそれらも無印良品の店鋪だと思えば我々にも、すんなり理解できるので

す。このころインテリの間でナウいのはやはり禅でした。

. それでは肝心の絵画のほうはどうなっていたかといいますと、まずこの頃は水墨画で

す。これも禅が流行らせたインテリアグッズだったのです。

. おっと、その前に言っておかなければならないのは当時は庶民には芸術と言う観念は、

まだありません。文字の読み書きもまだ満足に普及して無いのですから。ですからこのへん

の芸術論は朝鮮半島から来た超エリート達の持って来た文化を熟成させた日本のエリート文

化人達のエリアでの話です。

. そこで水墨画ですが、これもむずかしく語られ過ぎて我々には何のことやら解らない。

そこで出来るだけ解り易くシンプルに言い直してみると、これはもう『トワイライトな

絵』、『スケルトンなボカシ画』、『反デジタルでアナログな美』、Yes,No.ではない中間

のグレーゾーンがテーマの『横浜たそがれ』であるように思われます。今ではピンときませ

んが当時としては、ぶっ飛びトランス絵画だったのです。それに、ぼかしそのものがテーマ

となった単色の水墨画はすでに西洋的な遠近法を孕んでおり、それを日本の空間観念に新し

く持ち込んだように思われます。

. この空間の捕らえかたは浮世絵などの大衆文化に時を超えてリンクして行きます。これ

は実は禅のリンクする力の一部であり浮世絵のイキも実は禅文化だったという仮説を表明し

ておきます。

.

. それともう一つ水墨画で重要な要素は『ぼかしの偶然性の取り込み』です。

. 墨絵はぼかしと線画の組み合わせですが、描いてみると分るのですが、ちょうど書道の滲

みのようにぼかしのテクニックには、偶然性が強く関与します。そのため日本の絵画制作は

殆どが画布を寝かせて制作します。ぼかしている時に垂れてしまうからです。書でも、着物

の柄に色を指す時でも同じです。襖絵も制作時は寝かせて描いています。西洋の絵画制作の

立て掛けて描く技法とは対照的です。このぼかしの技法はある程度作為的に操作できますが

半分は自然の物理的偶然です。ここにも禅に取り込まれた禅味があり、作意と偶然が溶け

合っています。陶芸の窯変(窯の中での自然で思っても見ない創造的変化)と同じ美です。

.

. つぎに話しを浮世絵に移す前に、この頃の狩野派などのエリート絵画のことを少し書い

ておきます。

. 狩野派は体制お抱えの職業画家集団で、お寺やお城のインテリア絵画をいってに引き受

けて今の日本画のルーツでもあります。ここで少し取り上げておきたいのは、その空間の捕

らえ方です。水墨画が持ち込んで来た新しい空間も取り入れつつ日本的なるものである『無

限のペラペラな奥深さ』を現代まで伝承した功績は、これぞ文化と言わざるをえません。今

の日本画はその辺のことがはっきりしなくなっておりますが、実は日本画とは絵の具の問題

ではなく、ある空間の見方のことなのです。ゆえに日本画は余白を最大のテーマとします。

ペラペラ余白を意識していない日本画は日本画で描く必要はないのです。油絵でもCGでもよ

い訳です。

. 狩野派は江戸時代になると浮世絵などのやっと発生して来た大衆文化とあくまでも平行

して進み明治時代で自然消滅していきます。浮世絵も時を同じくして消えて行きますが錦絵

やイラストレーションといった大衆文化の中に変形して行くのでした。

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コヨーテII 1980年 JOSEPH BEUYS

これはゴミではない。ドイツの大家ヨ−ゼフ・ボイス氏の作品である

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長谷川等伯 「松林図屏風」部分 16世紀末

もやける ぶれる 霧に映る影は束の間 

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茶道茶碗 呼びつぎ

アフリカから言われる前に「もったいない」どころか美にまで到った破片の集合

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NO.-008

 
. それでは、さきほど述べた『浮世絵のイキも実は禅文化だった』の解説をいたします。

. 江戸文化の花である“いき”とは“わび さび”の表と裏であり“いき”とは『今を生

きる』ことであり『死ぬ覚悟』であり、魚屋は『さあ、殺せ!さあ、殺せ!』と叫び、い

きのZEN的な男女平等は、男に媚びない近代女性史のスタートであったと思われます。

. 生々しい原色と成熟したシックな寂びた色が同居して、ZENの清潔感にリンクした、折り

目正しいスピード感は、おおみえをきった歌舞伎役者のスットプモーションの様にZENメデ

ィテーションしているのでした。

. この『ZEN-POP』とでも名づけたい文化的リンクがなぜ突然、江戸大衆の中に発生した

かは謎です。おそらく吉原や芝居小屋といった巨大なクラブの中で武士文化に対向するもの

としてファション的に形成されていったのでしょう。


このようにしてZENは武士の手から民衆の中へと密かに開花し、橋の下では、粋なねぇさん

が立ちションベンしているのでありました。

.

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鈴木春信 江戸時代

春信の錦絵は浮世絵の中でもすぐれたハイセンスな色彩感覚を持っている。複製では分らないので是非本物を鑑賞されたし、他の浮世絵と比較されよ。

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NO.-009

. ここで又、起点、0点に戻ってウォ−ホールの色彩に少し触れておきますと、絵画のベースは

色と形です。素材感もありますが、あくまでも副次的なものとして、ここでは考えておきま

す。ウォ−ホルの色をここで出して来たのは浮世絵の色との共通点が有るからです。浮世絵

も必ずしもけばけばしい原色の作家ばかりでは有りませんが版元の指導が大きく色使いに作

用したふしがあります。スポンサーはユーザーの代表として大きな発言権を持っていただろ

うことは想像できます。それは今も同じです。


. いつの時代でもPOPな色がなぜ原色なのかは謎ですが、おそらく目立つこと、明るい事、極

楽な色の方向なのでしょうか? それと初期のテクノロジーの色は、けばけばしいと言う事

があります。ウォ−ホルは初期TVの蛍光色を多用して現代を表現しましたが、これは彼の

好きな色ということではなく、あくまでも現代を表現するためにあえて使われたのでした。

その証拠に死後彼の集めた膨大な骨董が公開され個人的な嗜好はむしろシックな趣味がうか

がわれるからです。コンセプチュアルなアートは極力個人的なこのみを排除することにより

普遍性を結晶化しようとしたからです。個人的な趣味の表現自体が現代ではダサイわけで

す。それに印刷機の初期の色もけばけばしく、型ずれなどを起していてウォ−ホルの色に似

ています。そして両者、浮世絵とウォ−ホルも偶然にも印刷での表現でした。以上が浮世絵

とウォ−ホルの色の共通点です。ウォ−ホールはゴッホのように意識して浮世絵に影響された

訳では有りませんが偶然にもこれだけの色の共通点があることをまず認識しておきます。 

 次に両者の題材のことですが浮世絵のニーズの高いものはポルノとブロマイドです。ブロ

マイドはアイドル芸者や役者、名所という場所のブロマイドなども有りました。ウォ−ホル

の作品も半分は肖像画であり、ここでも彼は極力趣味を排し、みんなの好きなものをテーマ

にしようとしたことがうかがえ、それが、デザイナー上がりの彼の無意識からきたものなも

か、それとも精神的師であるデュシャンの「作意性の排除」と言う深淵なる西洋禅なのか、

おそらくその両者であるところの浮世絵からの影響が見え隠れしているのでした。彼は多

分、浮世絵についてそのようなコメントはしていないと思いますが、これは実は師デュシャ

ンの「東洋美術史には関わりたく無いモード」の系譜ではないでしょうか?浮世絵をフラシ

ュアイデアにつかった印象派の末裔であるフランス人のデュシャンが日本美術史の中の茶道

や浮世絵をを知らない訳はなく、アカデミズムともマスコミインテリゲンチャ−とも無縁な

私の無責任な仮説として聞いていただきたいのですが、ここで「デュシャンは利休(東洋)

をパクッた」と言う白人的美術論からは絶対に出て来ないアジアンな仮説を表明しておきま

す。デュシャンのもう一人の精神的師弟関係のアメリカ人であるジョン ケージという作曲

家は偶然性の音楽という作曲法にたどり着きますが、これもデュシャンのアイデア(その奥

にはシュールリアリズムの自動書記やアクションペインィンティングの手法がある)と助言

によって日本の陶芸の美意識に非常に近いものを創造したのでした。又、彼の作品の「4分3

3秒」は4分33秒、ピアノのを弾かないピアノ曲で先生の「有りもの即、作品」と言うコンセ

プトを作曲に移し替えたもので、お客の出す雑音が即、ノイズミュージック作品だったので

す。なななんとこれは陶芸の窯変はないか。
  
 と言う訳で、デュシャン一派のやりたっかたこと、は「無作為の為」。なんとそれは中国

のタオイズム、道教、禅といわれるアジアンな意識なのでした。日本人が科学的、物質的に

西洋に追い付いたように、西洋も精神的東洋に現代において、ある意味で追い付いたのでし

た。実はこのウォ−ホル論のテーマはこの「作意性の排除からの脱出」にあるのです。(小

難しく言うと『メタ無作為』)作意性の排除までいってしまった現代の表現から、どうした

ら表現を取りもどせるか? このことが、ここでのテーマ、表現者が今、解っているにせ

よ、無意識であれ、直面している壁、に他なりません。長々と浮世絵や禅、そして東洋を比

較してきましたが、それも全てこの「作意性の排除からの脱出」と言う脱出口を導くための

考察でした。その答えが、またまた東洋にあるのか、それとも今度は西洋なのか、あるいは

全く場所を超えた彼方なのかを、これから検討して行きたいと思います。

ウォーホールのスタジオ内

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ジョン・ケージのチェス盤仕様の楽器でプレーするデュシャン夫婦とケージ  1968年

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NO,-010

. 近頃の科学的美術品検査の著しい進歩のお陰でごく最近有名な淋派の光琳の国宝の屏風

が言われていたような金箔や銀箔を貼ったものではなく、なんとそれらしく描いたものだっ

た事が分かりました。

. それに着物の染色に使う型染めの切り抜きを使ってシルクスクリーンのような一種の孔

版印刷、ステンシルで制作されていた事が分かりました。なんとこれはウォーホールそのも

のではないか。すでにこの時代にフェイクをわざわざ作って面白がる美意識があったよう

で、擬作師という職業があって漆で作った楽茶碗なども作られていたようです。

. 西洋でもワーグナーを敬愛したルードリッヒ2世はわざわざ偽の宝石を使った装飾で城の

内装をしていますのでこの芝居じみたフェイクな美学は東西を超えて存在していた訳です。

. ではなぜ偽物に美を感じるのでしょうか。それが面白いのでしょうか。

. 実はそこから色即是空な匂いが漂って来るからではないでしょうか。

. 日本人の美意識の根底に無意識に流れている無常感をそこに感じるのです。

. 

紅白梅図屏風(部分)

尾形光琳

江戸時代

NO,-011

. それではいよいよ本題のウォーホールの遺作となった、膨大な写真類を糸でつなぎ合わ

せた作品の検証に入ります。

. これらの作品の納得の行く評論を私はまだ目にした事がありませんが、海外の文献には

存在するのかもしれませんし、あまり断定的な事はいえませんが、大抵の評価はこれらを写

真作品としている所です。私の見解ではこれらは一種の絵画作品の延長であるという立場か

らこの文章を進めていきます。と言いますのも、もともとウォーホールの絵画作品は写真転

写のコラージュというモダンアートの手法の発展したものであり、ウォーホールが最後の最

後に絵画から離れて写真作品を作ったとは思えないからです。

. ではこれは写真作品とどう違うのでしょうか?

. 日常的スナップ写真がほとんどのこれらは写真芸術としてのクオリティーはありませ

ん。退職した公務員が突然写真家になったような写真ばかりで、大家の創り出した写真作品

にはなっていません。問題は必ず2枚と4枚からなる同じ写真の繰り返しです。絵画でも展

開されたこの手法は、無くなってしまった貿易センタービルのように、個性を稀薄化するモ

ダニズムの双児化手法です。個性を主張してはなりません。作家の主張をいいはってはデュ

シャン一派の仕事ではないのです。ここには最早シルクスクリーン印刷する事も止めたウォ

ーホールの手法のミニマリズムがあるのです。これは印刷前の原稿ともいえるのです。そし

てそれは写真であるが故に簡単に原画と同じものを複製する事が可能です。これらは全く従

来のウォーホールのコンセプトからずれたものではないのです。

. それではこの写真達を繋ぎ止めている糸は何なのでしょうか。それをこれから検証した

いと思います。

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ANDY WARHOL PHOTO EDITION

1987年 

24.6cm×19.6cm

NO,-012

. アメリカではノスタルジックなアーリーアメリカンな匂いのするパッチワークが盛んで

す。まだ貧しかったアメリカの伝統的なこの工芸が、ウォーホールの頭にあったかどうか

は分りませんが、写真のパッチワークとも言えるこの作品群は縫ってある事によって平面

から立体化しているのです。同じ写真を台紙に貼ったものとの大きな違いです。たとえば

これがそのように平面に貼ってあるコラージュ作品だったらどうでしょうか。そうなると

全く魅力のないものになってしまいます。誰でも遣りそうなものになってしまいます。縫

ってある事により絵画から写真作品から抜け出ています。

. それにこれが写真上のあるポイントに刺繍のようにミシンが入っていたとしたらどうで

しょうか。それでは単に絵の具の代わりに糸を使ったという事になってしまいます。写真

同士が縫い付けてあるという事が大事なのです。それによって絵画でも写真でも彫刻でも

ないオリジナルな表現分野を創作しています。分野がオリジナルなのです。作品のオリジ

ナルを超えて、分野をつくり出すという絵画や映画でも実験された彼のコンセプトは健在

なのです。

. すぐれた芸術はある分野での仕事で、それとは全く違った分野をつくり出してしまいま

す。無意識的にそれは発明されてしまうのです。それが本当のオリジナルです。

ANDY WARHOL PHOTO EDITION

1976〜1986年 

81.3cm×68.6cm

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